| 坂騒落着 (18) |
一、勢州垣鼻村海会寺所化剛嶽儀、泉州堺北糸屋町医師寛輔より海会寺柏宗弟子に致度旨を以、止宿之儀頼越す立達は、大坂表において、不容易企におよぶ大塩平八郎に一味致す、河州弓削村七右衛門事理三郎にて、姿を替身隠いたす者の段、最初は不存、同人儀奥州仙台大念寺へ相越、修行いたし度旨申聞、剛嶽も兼て同寺の道徳を慕ひ居る儀に付、幸ひの儀と存、同伴の儀申合候後、理三郎右企に携候由咄し聞、案外の儀とは存候なれども、違約も致し兼、同人同道大念寺江相越候処、宿寺の儀断受るとも、尚又所々連歩行、追て江戸表江罷出、同人猶又剛善と替名を唱へ、生国等偽り、橋本町願ン人冷月方に止宿罷在、其上理三郎病死致す節、冷月に相頼、弟子之姿にいたし貰ひ、同人菩提寺へ取置遣し、殊に海会寺に罷在節、同寺勝手に有之、錠前無之銭箱之金子、取逃いたす始末、不届に付、存命ならば入墨の上軽追放、