Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.4.9

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大塩の乱関係論文集目次


『大塩の乱と其の社会的影響』
その1

黒正巌(1895-1949)

『社会経済史研究 第3巻第8号』
(日本評論社 1933)所収

◇禁転載◇


第二節 大塩の乱と其の社会的影響

      

 徳川時代に於ては多くの騒動と云ふか、擾乱と云ふか、社会的な抗争があつた。それに付て一々御話するのには時 間が許されないので其の中の最も特色のあるものに就いて御話をして見たいと思ふ。

 徳川時代は、御承知の通り、主従関係と云ふ人的、精神的要素並に封土関係と云ふ物的生産的要素の上に立つて出来て居るのである。随て身分的支配階級である武士階級と被支配階級である百姓、町人とが対立をして居つたのである。斯る社会組織の下に於て必然的に起つて来る所の擾乱、是は色々な形に於て現はれて来る。今之を一々綜合して類別すると大体三つの範疇があると思ふ。即ち、

  一、支配階級である武士階級の内部の擾乱
  二、支配階級である武士階級への反抗的擾乱
  三 被支配階級の内部の擾乱

 此の三つである。而して第一の擾乱の中に大体二つの型がある。一つは支配階級の内郡に於ける権力の争奪と云ふがかさう云ふ様なものであつて、それは個々の御家騒動であるとか、或は党争と云ふ様なものである。もう一つは行政又は執政の都合から来たものである。それには色々あるが、ティピカルなものは仇討である。それから支配階級でたつて然かも其の支配階級から排泄せられた者、即ち浪人と云ふ様なものゝ反抗である。是が大体武士階級内部の擾乱の形であると思ふ。

 第二の武士階級への反抗的擾乱にも二つの型がある。一つは革命的な擾乱、即ち支配階級である所の武士階級に反抗し、其の社会組繊を否定する所の運動である。もう一つは革命的に非ざる非革命的の擾乱である。其の最も典型的なものは百姓一揆であると思ふ。

 第三は被支配階級内部に於て起つたものである。是も時代に依つて違ふ。是は被支配階級内部に於ける経済可的な支配関係から起つて来て居る。此のことは幕政初期に於ても既に貧富の懸隔があつた。殊に土地の兼併、同時に生産力の減少と云ふことがあり、御承知の如く寛永年間に於て既に田地永代売買の禁と云ふものがある。随て地主と小作人、貧乏人と富者と云ふ様な区別があり対立があつた訳である。故にさう云う関係で小作争議とか或は打壊しと云ふ様なこともあつたのである。是は強ひて申せば、さう云ふ被支配階級の内部に於ける経済的支配関係から来て居るのである。

 もう一つは経済的な支配関係のない争であつて、一つは地域的利害関係に基くもの、第二は職業的な利害関係に基くもの、第三は宗教上の利害関係から来るもの、大体此の三つがある。

 是等は極めて概念的に分けたのであつて、此の色々なものは純粋な形では必しも起つて来ない。色々なものが複合し、競合して居る場合がある。併し之を概念的に分けて、徳川時代の集権的封建杜会に於て、斯う云う支配関係が存続する限りに於て起つて来る所の抗争、それは何であるかと言へぱ第二の武士階級への反抗であると思ふ。支配階級の内部の抗争と云ふものは支配関係が存続する限り起るものであり、又支配者間に於ては其の権力を争奪すると云ふことがあるのである。随て例へば今日の様な社会に於ても、矢張り支配階級の内部の抗争がある。又支配せられる階級の内部に於ても矢張り抗争があり得る。随て身分的支配階級の存在せる所の徳川時代の封建社会に於てのみ起り得る所のものは百姓一揆であらうと思ふのである。

 此の百姓一揆に就いて私は多年研究して居るのであるが、私が百姓一揆の研究を試みたのは、従来の日本の歴史の研究と云ふものが支配階級の文化、支配階級それ自身の栄華盛衰を記したものであつて、其の下に居る所の支配せられる階級が、どう云う様な動向を辿つて来たかと云ふことは記して居らなかつた。又さう云ふ様な者の生活状態を直接書いたものは少いのである。一つの支配せられる階級と支配する階級とが対立する社会に於ては其の利害相反のあることは必然である。而して其の利害相反の関係を見て行くと、詰り其の争がどう云ふ風に継起して来るかといふことを見ると云ふことは、従来の歴史の研究の深さを更に深めるものであると考へて、この争闘の方面から私は社会の研究をして居るのである。

 百姓一揆は徳川時代の封建社会が推移するに従つて、即ち身分的支配力と云ふものゝ緊縛の程度、弛緩の程度と云ふ様なもの、随て又支配階級がどう云ふ風に搾取したかと云ふことから当然に起つて来るのであつて、詰り百姓一揆と云ふものは大体に於て農民が益々加へられて居る、又加へられんとする苦痛、精神的、物質的の苦痛の除去軽減と云ふことを目的として居るのである。勿論其の表現の形式になると、非常に爆発的であり、破壊的であつて、一見革命的に見えるのである。それで一般の人々は其の表現の形式、又は当時絶対的の支配権を持つて居つた所の武士階級への勇敢なる反抗運動であると云ふ事実からして、之を以て直ちに革命的であると論じて居るのである。併し是は非常な問題であつて尚ほ此の問題に就いての結論には到達して居らない。


『大塩の乱と其の社会的影響』目次/その2

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