『名判官物語』 中央公論社 1941 より
適宜改行しています。
民刑訴訟手続概要 | ||||||||||||
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徳川時代の訴訟上の用語には、今日の観念では理解し難き文詞が多いから、名判官の事蹟を記述するに先だち必要とする事項を解説しよう。 訴訟といふ文字は多くの場合に於て訴又は請願等の一方的行為をいふのであつて、原被両造の相対する場合即ち訴訟関係の生じた場合は之を公事と称した。公事は又出入ともいつた。 公事には本公事と金公事との二種がある、本公事とは質地、作徳、買預米、預金、給金等の如き主として利息の生ぜざる金穀物品の訴訟をいひ、金公事とは売掛代金、持参金、手附金、立替金等の如き遅滞の場合に利息の生ずべき金銭上の訴訟をいふのである、以上は民事の訴訟である。 刑事訴訟に関する審理を吟味物と称した、文書に公事吟味物とあるのは民刑の訴訟といふことである。 越訴と称するものがあつた。所轄裁判所に非ざる裁判所に訴ふるか、又は規定の順序を経ずして上司に訴ふるのをいうのである、又筋違の願とも称した。原則としては之を受理しないのであつて、且つ之を為した者に対し相当の処罰規定もあるのであるが、幕府の役人は巧妙に之を処理していた。 越訴と看做されたものは左の如きものである。
訴訟人といふのは原告のことで、被告を相手方と称した。訴訟の関係人が老幼病者なるときは差添人(介添人ともいふ)を許可した。又出廷者は必ず名主五人組等と同伴することを要した。 法廷の座席は身分によりて侍遇に差別があつた、士分以上又は神官、僧侶、検校等は板敷に坐し、平民は白州に坐するのである。 訴状は之を目安と称した、裁判所が目安を受理し相手方を呼び出すには差紙を以てした、差紙とは名差にて出頭を命ずる召喚状である。別に呼出状といふものがある、呼出状は寛大の処遇をする場合に出すのである。差紙の文言は左の如きものである。
呼出状には寛保二年のものに、左の如きものがある。
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