Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.11.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩の乱」

その5

久保田辰彦 大阪毎日新聞社 1940

『大阪郷土史』所収

◇禁転載◇

一二 大塩の乱(5)管理人註

狼煙揚がる
























炎焔天に冲
す

















平八郎父子
爆死





















宇津木矩之
允 

五、狼煙揚がる  かくて天保八年二月十九日、この日を挙兵の斯と定めたが、同志中に 裏切ものありて、十七日事は早くも発覚した。しかし跡部山城守が優柔 不断で、一挙弾圧の手を下さなかつたので、平八郎の計画は、予定通り 進められた。即ち平八郎初め決死の同志数十名は、十九日早天結束して                   (4) 起ち、まづ東照権現を祀れるの天満建国寺(洗心洞の裏手)を砲撃炎上 せしめ、堂々市中を示威行進した。この狼煙を見、予ての檄文によつて 駈付くるもの幾百人、多くは平八郎平生の恩に感ずるもの、或はその名 を慕ふものであつた。平八郎等一団は、天満橋筋を北に長柄方面に向ひ、 西に回頭、更に南に進んで天神橋を渡らんとしたが、橋は既に奉行の命 で切断されてあつたので、西に廻つて浪花橋を渡つた。この時建国寺そ の他より発した猛火は、北風に煽られて炎焔天に冲し、威嚇の砲声と相 応じて凄壮の気を漂はした。  かくて平八郎は養子格之助と道を別つて進み、救済の議を拒絶せる富 豪の邸宅を襲ひ、或は金穀を散じ、或はこれを焼き、遂に平野橋附近或 は堺筋方面で、奉行の軍勢(城代の手兵も加はる)と衝突したが、味方                         (5) 屈指の砲術者梅田源右衛門が、玉造組の与力坂本鉉之助の銃丸に斃れた ことは、一軍の士気に与へし影響多く、遂に総崩れとなつて、同志の多 くは或は戦死し、或は捕へられ、或は自殺を遂げ、平八郎父子は.靭の       (6) 美吉屋五郎兵衛方で爆死を遂げた。  大塩の乱は、かやうにしてあつけなく結末が着いた。学問あり思慮あ りとせられた平八郎としては、誠に軽率千万な行動であつた。その斯く せざれば役人の迷夢醒めず、富家亦反省せすとするも、徒党を組んでの 放火掠は、その住民に与へた迷惑だけでも許さるべきでない。されば その発するに臨み、門弟中にも宇津木矩之允の如き反対者もあり、死を 決して諌めたことは注意しなければならぬ。もしそれ他の多くの門弟が、 一致して維れ命維れ従うたことは、理非分別の前に、師匠平八郎に対す る崇敬の極致、一種の信仰の帰結であつたことが痛感される。  【宇津木矩之允】 宇津木矩之允は静霞と号し、彦根藩士宇津木某の  弟で、夙に平八郎に入門し、平八郎の愛弟子であった。平八郎が大事  を起す直前に、長崎遊学より帰り、平八郎より大事を打明かさるゝや、  極力以てこれを不可とし.暴に報ゆるに暴を以てするは、名は弔民唱  義であつても、その跡は賊に類するとて、面を犯して直諌した。こゝ  において平八郎またいはず、矩之允は、師の決心の動かすべからざる  を見、心既に死を決して家郷に遺書した。決行の朝未明、平八郎は、  同志の士気を鼓舞する為め、門弟大井正一郎に命じ、門出の血祭に短  之允を討たしめた。正一郎命を受くるや、槍を提げて矩之允を求め、  その厠より出づるを見、先生の命なりとて槍を擬した。矩之允少しも  騒がず、徐ろに手を盥ぎ、端坐してその穂尖を受けたといふ、享年二  十九。その家郷への遺書といふものの中に「此儘見棄罷帰り候ては、  武士道不相立、荷担仕候はゞ、第一御家の名を汚し、忠孝の道に背  き、師を見棄て候ては、義相立ち不申」の文句がある。静区宇津木  矩之允の名は、大塩の乱と共に、永遼に伝はるであらう。


(4)建国寺 東照権現を祀れるを以て町奉行は特に責任を有す。乱後再建  し、鳥羽伏見の役後、官軍来阪の時は、長藩兵の本陣となる。神仏分  離の際取毀たれ、造幣局の敷地となる。 (5)坂本鉉之助 玉造組の与力にして、学問もあり、砲術も出来た。平八  郎とも親交があつたが、平八郎の乱を起すや、加番遠藤但馬守の命に  て出勤し、鎮定の功第一たり。 (6)美吉屋五郎兵衛 靭油掛町にて更紗染を業とす、平八郎と義兄弟たり、  平八郎父子同家に忍ぶや女中未だこれを知らず、適々実家平野郷に帰  り、この頃家族増さざるに炊量多きを語る、郷人これを城代の陣屋に  訴ふ、蓋し五郎兵衛と平八郎の義兄弟たるを以て、夙に怪しみ居たれ  ばなり、かくて捕吏同家を囲むや、平八郎その免るべからざるを知り、  父子爆死を遂ぐ。
遠藤但馬守
は定番



平八郎と義
兄弟という
のは誤説か。





 


徳富猪一郎『近世日本国民史 文政天保時代』その5


「大塩の乱」目次/その4

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