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此時天下久しく無事にして、政令漸く寛縦なりしより、市井に無頼倖免の徒多く、
賭博穿 の輩横行せしが、此輩大抵無籍にして、身を権貴家のp隷傭僕の中に混
じ、東西出入時に主家の名を衒して、無告を恐嚇する類尠からされば、警吏捕卒
と雖も憚りて漫りに手を下さず、知ると雖も、或は知らさるを為して過き行くの
弊を生せしかば、政府之を憂ひ、矢部か剛直を知り、挙けて先手頭火付盗賊改万
務の職に任せしかば、矢部命を奉し、下吏を督励し、貴戚を趨避せず、力めて蒐
狩捕獲し、毫も仮さゝりしかば、巨魁屏息し、此輩一時 を絶つに至り、矢部功
を以て堺奉行に超遷し、駿河守に任ぜらる、
矢部か先手頭火付盗賊改に撰はれし事は、今人多く知らさる所なれ共、藤田
東湖か八十韵古詩に詳に之を記し、且つ幕府仕途の順次に於ても、布衣場所
二役を経るにあらされば、諸大夫役に陟るを得さる旧規なれば、互に照らし
て其必らず然るを知る、矢部氏世緑五百石の身を以て、直に布衣千石の徒士
頭に擢てられ、再転して千五百石の先手頭に到り、未た幾ならずして二千石
の堺奉行に陞るは、其頃稀なる出身の速なる入なりとせり、
矢部の先人も亦曾て堺奉行たりしかば、氏か任に堺浦に赴くや、其地の父老猶ほ
能く其総角にして、先人に従ひ官邸に在りしを記する者あり、令郎君何ぞ成長の
早きやと言合ひて喜ひたりしと、
鋤雲云、矢部の親も亦通称彦五郎とて、寛政年中目付役にて頗る有名の人な
り、其堺奉行たりし日も定めて令政ありしならん、故に故老之を記して其児
の再ひ此に むに及ひ、故らに此語を発せしなるへし、
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穿
(せんゆ)
泥棒
p隷
(そうれい)
陟(のぼ)る
陞(のぼ)る
総角
(あげまき)
令郎
令息
(のぞ)む
故(ことさ)ら
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