Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.6.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


「矢部駿州と鳥居甲斐」
 その6
栗本鋤雲 (1822−1897)

『匏庵遺稿』所収 裳華書房 1900

◇禁転載◇

 管理人註
  

矢部氏令聞益々盛にして、又陞りて大坂府の町奉行に任せられ、頗る嘉蹟あり、   是より前三上侯遠藤但馬守、玉造口の加番として坂城に在り、矢部之と親善   なるを以て、公暇屡々過きて訪ひ、侯も大に遠地に良友を得たるを喜び、互   に思想を述へて隠す事あるなし、一日矢部至りて談話の際、侯家に出入の刀   商来り、侯か兼て申し置きたる副刀の制粧成りたるを報して持来る、侯其坐   に於て見終り、心に適したるを褒して商を帰へせしが、矢部一見を請ひ、其   刀の善美を称し、且嘆して云ふ、奉行の職たる重罪険悪の者に咫尺間に対し   て、鞫問訊詰の際、万一原田甲斐の如き不逞の兇徒あり、窃に匕首を懐にし   て不測を謀る者無きを必し難し、此時侍臣の佩刀を持つ者、隔てゝ後座に在   り、頼む所は唯副刀あるのみなれば、副刀は力めて名匠の作を佩て不虞に備   へさる可からず、然るに小禄の輩、之を知らざるに非すと雖も、或は弁する   能はず、常に以て憾と為すと、語りしを、侯聞て、如何にも然らんとて、直   に其刀を以て与へられたりければ、矢部いたく己が失言を愧ぢ、辞拒再三に   及びしも、終に屈して受納めたり、   又一日来話の余、矢部云ふ、我が職たる人の罪を鞠するの法は、稍々得る所   あるを覚ゆれど、若し己れ疑罪を得て鞫問せらるゝに当りて、如何心得へき   やを知らず、必らず実を述て隠さず、再に至り三に至るも屈せざる可きや、   と問ひければ、侯之に応じて、我も公も同様凝罪を被るの日は不幸の至りと   云ふ可し、去るからには一問には必らず情を尽して述ぶ可けれども、再三に   至れば上の不明を証するの恐れ無き能はざれば、己を枉て服従する、是れ臣   子の道たるべしと我は悟り居るなり、と云ひたりければ、矢部大に其理に服   して、甚だ然り、と答へしが、後年に至り果して其言を守り違はさらしは、   如何にも正道なる人なりしと、是れ侯が老後常に嗣子東胤城氏に語られたり   し語にて、共に隔意なく交はられしを証す可し、   部下の僚吏大塩平八郎なる者あり、夙に王陽明の学を修めて人望を得しが、   徒弟多く服従者の広く成るに従ひ、漸く慢心増長して、窃に不軌を企るの念   慮を蓄へしが、矢部が任に在りし日は憚りて毫も色に現さず、世を養子格之   助に譲り、隠遁の身と為り居しが、天保年の飢饉に際し矢部が陞りて勘定奉   行と転じ、東帰の後、跡部山城守が後任に膺り、着坂の第三日、始て市中巡   見の際を以て期とし、衆を挙げて反せんと図りしに、其前夜密告の者あり、   其事発露に及び、終に捕戮に就きたるを見ても、矢部が鎮圧の力能く、後輩   をして畏憚せしめたるを想像するに足る、   勘定奉行に在りし日は、餓途に横はる凶饑に際し、百方賑恤の計に労し、   金座役人後藤三右衛門初め素封富豪の者に諭し、金を官に納れしめ、民厄を                      賑救せし類の成蹟ありしが、偶々西九城炎上し、文恭隠君本城に居を移され、   急に西城の土木を起して新造に着手し、大小各藩に命じて金を献じ、補助せ   しめんとせらるゝ事あるより、矢部は会計主任の職なれば、其不可を陳し、   西城焼ると雖も、郛郭に損所なく、要害に欠くなければ、須らく耐忍して隠   君は暫く三の丸城に移られ然る可く、又各藩に令し金を出さしむるも、一般   荒飢の後、民力未だ旧に復せざれば、殆んど堪ゆべからず、縦令彼より之を   出さんと請ふも、諭して納めしむるに及ばず、以て時を待たるゝこそ治道の   大体なるべけれど、固執して聞かず、廷争して上旨に忤ひ、執政の意見と合   せざるを以て、罷められて西丸留守居閑散の職に就けり、蓋し文恭公三の丸   の狭隘にして卑湿なるを厭はれ、慎徳公も父君を卑湿に居らしむるを欲せず、   去ればとて又父子一城を共にすれば、有司混同不便の訴もあり、旁々止むを   得ず矢部を廃して前議を用ひらるゝなれば、識者甚だ惜めりと、其頃専ら世   上に噂せり、



陞(のぼ)りて


遠藤但馬守は
定番(天保4〜12)
矢部は天保4-7
西町奉行





咫尺
(しせき)
距離が非常に近いこと


鞫問
(きくもん)
罪をしらべて
問いただすこと



























枉(ま)けて













矢部のは西町奉行で
大塩は東町奉行所
与力であったが、
矢部の着任時は隠居
したいた


矢部の後任は
堀伊賀守

膺(あた)り




















郛郭
(ふかく)
城外の大きい
囲い


忤(さから)ひ











卑湿
土地が低くてじめ
じめしていること


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