Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.10.10

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大塩の乱関係論文集目次


「氷 室 の 狼 煙」その11

前 田 愛 子

1983.10『文化評論』より転載


◇禁転載◇

〈才治郎かも知れへん〉
 おのぶはとっさにそう思って急いで戸口に歩み寄った。けれども戸の外には見知らぬ二人連れの武士が立っていた。
「才治郎さん、帰ってはりますか」
 ずんぐりした背恰好の男が声を潜めてそうたずねた。目の前の二人連れを捕方と勘繰ったおのぶは戸口に立ちはだかったまま、才治郎は大坂へ出かけたきりだと答えた。彼女の警戒しきった様子をみてとった男は辺りを窺いながらおのぶにささやいた。
「私は洗心洞で格之助さまに仕えております岩蔵と申します。こちらは門人の大井正一郎さまでござりまする」
 若党の岩蔵は才治郎より三歳年上の正一郎をおのぶに引き合わした。
「貴男さまが大井さまでござりましたのか」
 おのぶは改めて背の高い方の青年を見上げた。玉造口与カ・大井伝次兵衛の子息である正一郎は、血気盛んな青年だとこれまで何度か息子の口からきかされていた。
「外ではなんですから、さ、はよう中へおはいり下さりませ」
 両名が才治郎の友人だと知った彼女は急いで戸を閉め男たちを炉端へ誘った。聞けば彼等は昼から何も腹に入れていないという。おのぶは先ほど治兵衛のために炊いた粟粥を暖めてすすめた。二人は敗走の混雑にまぎれて平八郎たちを見失い、仕方なく大和へ落ちて行く途中であったが、侍姿では人目につくので刀を預けにこの家へ立ち寄ったのだった。大井が短い時間に語ったのを要約すると、この二月に西町奉行に赴任してきた堀伊賀守利堅は、慣例として先任奉行の跡部に案内されて市中を見廻っていた。十九日には天満組を巡視して最後に与力町へ廻り、タ方近くに大塩邸の向かい屋敷にある西町奉行与力・朝岡助之丞の役宅で一服する手筈になっていたので、その刻をみて大塩勢は兵を挙げ、両奉行を討ち取る計画になっていたのだった。しかし企てが事前に洩れたため、予定を早めて十九日の朝五つ時(午前八時)屋敷の塀を引き倒して外へ繰り出し、向かいの朝岡宅へ大砲を打ちこみ同時に大塩宅へ火を放った勢いで門人たちは天神橋筋まで一気に駆けて行ったのである。
 大井正一郎はおのぶの前で語らなかったが挙兵に先立ちその手で、平八郎の高弟てある字津木矩之充を斬殺していた。矩之充は長崎遊学の帰途、師の許を訪れ血判を求められたのだが、挙兵を暴挙だと指摘し翻意をうながしため為に不運な目に遭ってしまった。
 平八郎ば愛弟子の力量が人並すぐれているのを借しみ、内心では矩之充が逃亡してくれるのを望んでいた。しかし師を敬愛して止まない弟子はぎりぎりまで挙兵を踏みとどまるよう諌言して退かなかったのてある。平八郎は時の勢いで、大井正一郎が矩之充を斬り捨ててしまうのを黙認した。
 平八郎に率いられた一隊は天満一帯を焼き打ちしながら難波橋を南に渡り、北船場にはいる正午頃には駆けつけた近在の百姓たちで三百名を越える大人数になっていた。当初の目標であった両奉行は討ちとれなかったが、今橋筋に軒を違ねる豪商宅は襲撃して焼き払い金銀は人々へ分け与えた。けれども城方の出動で砲撃戦が始まると、気勢をあげていた大塩勢もたった二度の小砲撃で四散してしまったのだった。
 大井正一郎から市街戦の模様を知らされたおのぶは肩を落として言葉少なく言った。
「それじや、才治郎たちが間に合わなかったのも無理おまヘんな」
 大勢の人々が期待を寄せたであろう挙兵の幕切れが、あまりにもあっけなく終ったのでおのぶは気持が沈みこむのを覚えた。
「話は切りがおまへんのだすけど、ここに居はりましたら危のうおます。今夜のうちにた田辺へ出て大和へ落ちなさりませ」
 おのぶは握り飯を竹之皮へ包み、納戸から半天と紺の股引を取り出し、二人を百姓姿に変えさせた。
「才治郎は未だに帰(い)なへんとこをみますとすと多分どこぞへ落 ちのびたのやないかと思います。あんさん方がこの先もし、息子と逢いはるようなことがございましたら、どうぞよろしうお頼み申します」
 坂道の途中まで送って出たおのぶは剃刀(かみそり)のような風が雪を混えて吹きつけるのもいとわず、遠去かって行く男たちの後姿に思わず道中の無事を祈っていた。


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