Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.9.15

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大塩の乱関係論文集目次


「氷 室 の 狼 煙」その4

前 田 愛 子

1983.9『文化評論』より転載


◇禁転載◇

 表座敷での酒宴はまだ盛りであったが、年配の者はもうぼつぼつ席を立ち始めていた。
 しばらく中座して厨にいたおのぶが廊下を引き返してくると、薄くなった髷を申し訳みたいに載せた小左衛門が、ほろ酔い加減で忠右衛門と連れ立ち帰って行くところであった。
「もうお帰りでございますか、もうちょっとごゆるりしていかれたらよろしおすのに」
 おのぶは脇に寄って身を避けると二人に愛想を言った。
「いや、もう充分に招ばれさして貰いました。それに年寄リは朝が早おすので、わてらはここらで帰(い)なしてもらいますわ」
 正月の祝酒で渋茶色の皮膚に紅味をさした小左衛門は、背後の忠右衛門を振り返って笑った。
「まあ、忠はんもとうとう年寄り扱いにされてしまいましたなあ」
 おのぶは親しみをこめた眼差しを向けて言ったが、寡黙な忠右衛門は僅かに口許を弛めたにすぎない。
「京、大坂じや、行き倒れや餓死する者(もん)が日に百人からある言いますのに、こないして酒まで招ばれて、ほんまに済まんことだす」
 根が律気な小左衛衡門は水洟をすすり上げると厚く礼をのべた。新しい年を迎えて六十七歳になるという老人は、久し振りにありついた酒でいくらか饒舌気味だ。
 客人が覆物をはく間、おのぶは式台に坐って提灯に火をともす。
「お家はん、えらいご馳走さんでござりました。治兵衛さんが戻られたらよろしうに」
 珍しく髭剃りあとの肴々とした忠右衛門は、おのぶの手から提灯を借り受けると踵をかえした。おのぶはそんな男の背に思い出したようにして声をかける。
「忠はん、正月休みが明けましたらまたひとつ素麺の方もおたのみ申します。治兵衛もあの通りでなにかと行き届きまへんけど」
 おのぶの言葉に振り返った忠右衛門は、
「そないなこと言わんといておくれやす。治兵衛さんは無口だすけどよう気のつくお方だす。わての方こそよろしうおたのみ申します」
 そう言うと小左衡門をかばって戸外の闇へ溶けこんで行く。二人を送り出したおのぶは座敷へは戻らずその足で隠居所へ渡った。新兵衛がまだ宴席につらなっているのを履物で知ったので、鏡の前で身繕いを直してから座敷へ顔を出そう思ったのである。
 天保八年と年が改まって三日目の今日は、日ごろ出入りしている小作人や賃稼ぎの百姓を招き、二年間の労をねぎらっていた。大坂と奈良との境にある生駒山系に囲まれた谷間のこの村は平地が少く、山裾の傾斜地や山の中腹まで耕やしても百八十石あまりの米しかとれないので、人々の暮らし貧しくどの家でも子供たちが相応の年頃になると、大坂や京の商家へ年季奉公に上がるのが習慣だった。七十戸ほどの小きな寺村のなかで治兵衛の家が内福に暮せるのは、小金を廻す以外に素麺つくりをやっているからだ。
 平安の昔、貴人たちの狩場として名高い交野ケ原と隣接したこの地は古くから氷室(ひむろ)村も呼ばれ、良質の水と寒冷に恵まれているので造酒と共に河内素麺の生産地でもあった。特に水車を利用して製粉した麦で素麺をこしらえるのは農家の冬場の副業として、畑作と共に欠かせない収入源になっている。元禄の頃より村役人を勤めている治兵衛の家でも素麺株を持っていたので、歳末から翌年の三月までは毎年、数名の賃稼ぎを傭っている。近頃では新兵衛も村に腰を据えてそのひとりとして働らいていた。
 おのぶは衿元の崩れを直すと、婚礼の折に京の簪(かんざし)屋で手に入れた節目の細い櫛で鬢のほつれをかきあげた。屠蘇でほんのり紅く染まった眼許が鏡の中で潤んでいる。久々に貝殻にはいった口紅を小指の先にとり形の良い唇に薄く引く。すると鏡の中の顔は年よりぐっと若やいで見える。白い陶器にも似た肌は白粉をはたかなくとも艶やかでしっとりしており、初孫を設けるには早すぎる年齢であった。それが証拠におのぶの生理は充分に豊かで未だに毎月、女のしるしを見た。その豊かな生命への手がかりが新兵衛への思慕となって、おのぶのなかに眠っていた女の熱い血を目覚めさせたに違いない。彼女はかつてご新造さんと呼ばれていた新妻時分に使っていた差し櫛を取り出し丸髷の前へさした。松竹梅の模様はいくらか派手かも知れないけれど、正月のめでたい席では許されるだろう。凶作といっても富農のおのぶの家は喰うに困ることはない。それより怖れるのはその日の糧にもこと欠く百姓たちが、打ちこわしを始めはしないかということであった。そうした世情を敏感に察知した新兵衛は治兵衛へなにかと助言していた。正月の餅さえ用意できない出入りの百姓ヘ、わずかずつでも暮れに餅米をくばったのも新兵衛の口添えがあったからだ。
 やがておのぶが母屋へ顔を出すと、八重が土間で孫のハルをあやしている。
「ハルちやん、まだ寝えしまへんのか」
 おのぶは眼を細めて孫の顔をのぞきこむ。
「奥が振やかやさかい、仲々寝つかれしまへんのですやろ」
 八重はそう答えながら体を左右にゆすった。声を立てて笑い出したハルのふくよかな頬に軽く手を触れて相手になったおのぶは、その足で厨へ廻った。歌は小女を指図して酒の燗をつけていたが、姑の姿を目にすると手をとめて、つい先ほど池之坊の修業僧が帰ったことを知らせた。おのぶ同様に二人の息子たちも池の坊の住職に四書五経を学んだので、今宵は寺の修業僧も招待してあった。
「それはそうと、お住職さんにもおみやげことずけはりましたか」
 おのぶは朝方、棚の上へ置いた乾鮎の包を目で追った。
「はい、そこの棚からとってお渡しいたしましたけど」
「そうだすか。ありがとうさん。あんさんそこ八重に任せ てハルをみてあげなはれ。今夜はよう冷えますさかい、風 邪でも引かせたらえこいことだっせ」
「お姑(かあ)はんこそ、先前(さいぜん)からお客はんの相手でえろうおますのに」
「私(わてい)はこの通り元気だす。あんさんは夜中(よさ)にもハルの世話しなあかん身だす、遠慮せんとはよ仕舞いなはれや」
 そういい置くとおのぶは広間の方から流れてくる三十石船の舟唄に耳を傾けていた。

 飯盛女で賑わいを見せる枚方宿の様子を良い喉できかせているのは炭焼きの源六だ。うたい終って手の鳴る音がきこえたかと思うと、廊下に足音がして才治郎が上気した顔をのぞかせた。
「お母はん、みな帰(い)なはるで」
 息子の声を合図のようにして足音がこちらへ近づいてくる。
「お家さん、えらい、御馳走(ごっそ)さんでした」
 源六が才治郎の背後から礼をのべた。くりくりした眼の源六に笑顔を見せられると、ついおのぶの頬も弛(ゆる)んでしまう。
「えらい早いお帰りだすな。おかまいもしまへんと」
 おのぶは愛想を言いながら若者たちを送う出した。どの顔を眺めても百姓の次男、三男ばかりで、遅く帰ったところで咎め立てする者も無い寂しい男たちばかりであった。
「わあ、雪やで!!」
 先に飛び出した者が頓狂な声を出す戸外は何時の間にやら粉雪になっていた。しかし酒で体を暖められた男たちは雪の戸外へ飛ぴ出しても急に寒さを覚えないらしく、賑やかに坂道を駈け降りて行った。
 若者たちを見送ったおのぶが炉端へ坐ってひと息ついた頃、ハルを寝かしつけた歌が茶をすすめてくれた。
「新兵衛はんもこちらへどうぞ」
 おのぶは上り框へ降りて帰り仕度をしている男を引き止めながらふと辺りを見廻した。
 「才治郎はもう先に休みましたのか」
 「いいえ、先前(さいぜん)、源六どんと一緒に出かけはりましたわ」
 八重が眠そうな瞳をしばたいて答える。
 「遅うからどこへ行ったんですやろ。それで治兵衛は?」
 「まだですねん。えらいおそうおますなあ」
  歌は新兵衛の前へ湯のみを置き、思い出しだようにして玄関の方へ視線を馳せる。
「仲々、決まらしまへんのですやろ」
 おのぶは新兵衛からも意見が聴きたかったので、今夜の寄合について語り始めた。



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