Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.9.19

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「氷 室 の 狼 煙」その5

前 田 愛 子

1983.9『文化評論』より転載


◇禁転載◇

 昨年の暮れに陣屋の方から素麺業者の冥加金を新年度から引き上げると通告してきたのに加えて、枚方宿の助郷の負担が年毎に重くなってきているので、村では夫役を減らして貰うよう幕府に対して嘆願書を出そうという相談もあって、正月早々から庄屋の治五平の家で寄合いを持っていた。
 枚方宿に面した京街道は古くから淀川がつくった自然の堤防を交通路として利用されてきたのだっだが、秀吉時代に政治上、軍事上の道路として整備された。さらに江戸時代に入って家康が江戸を中心として諸制度を築いて行く過程で、幹線道路として東海道や中仙道などの五街道を設けた段階で京街道も東海道の延長部として、京、大坂を結ぶ重要道路に指定されたのだった。それまで戦国大名の分国中心の交通路として利用された街道は、江戸中心の幹線道路として改められ、参勤交替の制度が確立して行くなかで宿駅制度も充実して行ったのである。そして暮府の支配が確立して行くのに並行して、江戸の経済が発展して行くと、それに従い街道の往来も一段と頻繁になった。そうしたこともあって幕府は京街道と淀川が接する枚方泥町に、過書番所を設けて淀川を上り下りする船の監視にあたらせたので、枚方宿は水陸両面で京、大坂間の重要な地を占めるようになったのだった。
 幕府の定めによって宿駅の枚方宿には常に百名の人足と百匹の伝馬を用意しておく義務があったが、実際にはその半分しか常備できなかった。それらの人馬役の負担は助郷に指定された村々に銀で割りあてられていたのて、これは村にとって年貢と共に二重に課せられた負担となっていた。おのぶは事情を説明しているうちについ声も沈みがちになる。
「せっせと働らくものが喰うに困って餓死寸前というのに、一方では特定商人が邸内の池に、法外な値の鯉を買い求めて放つという御時世ですからどこか狂っております な」
 新兵衛の怒りを抑えた声に頷いたおのぶは、
「ほんまにそうどすな。この先どないなりますのやら」
 そう言って不安な眼を新兵衛へ向けた。日頃は朗らかな歌も八重も暗い話に先ほどから口を噤んだきりだ。
「大塩さまは何度か奉行へ救済策を進言なさったのですが、事なかれ主義の奉行は逆に隠居の身でありながら政治向きのことに口を挟むなら強訴の罪にすると脅してきたのですからな」
「まあ、なんと理不尽な!!」
「それでも先生は恐れずに、救済費用として三井や鴻池らの両替商に六万両の借金を申し込まれたのてす。それも向う三ケ年の間に返済するといって、御自分の家禄をはじめ門下生の知行や家財まで残さず抵当に人れると言って掛け合われたのだす。しかしそれも奉行の横槍で駄目になってしまったのです。ま、こんなこと余り大きな声では言えませんが、幕府の屋台骨はもう腐ってしまってそう永くは持ちますまい。一揆ひとつみてもそれは判りますな。弓や鉄砲というものはもともと戦いの道具ではありませんか。そんな武器の力を持って百姓を押さえなければ治めることが出来なかったのですから。百姓も一人ひとりの力は微々たるものですが、結束してかかれば思わぬ力が湧いてくるものですよ」
 新兵衛は低いが力のこもった声で言い終ると、囲炉裏の端に置いた湯呑に手を伸ばした。当節の男にしては珍しく、女子供を相手に政治向きの話を詳細に語ってくれる男の横顔は、赫々とした囲炉裏の焔に照らし出されて燃えるようだっだ。おのぶはそんな男の表情を好ましく感じながら、
〈大塩さまはこの先、新任奉行にどのような姿勢でのぞまれるのだろうか〉
 ふとそのような思いに捉われていた。才治郎が洗心洞ヘ入門して以来、平八郎は孝右衛門と連れ立ち、この村へ忍びでよく足を延ばしたものだ。細っそりした体つきの彼は尊延寺の谷や川が気に入った様子で遠く谷頭の穂谷村まで出掛けていた。息子から聞いていた平八郎の厳しい面は滞在中は見受けられず、腰の低い気さくな感じのする学者であった。あの頃まだ健在だった夫も釣り上げた鮎を塩焼きにするなどして歓待したものだ。
「これはこれは、すっかり長居してしまいましたな」
 おのぶが物思いに耽っていたので新兵衛は帰りそびれていたのであった。
「今夜はおそおますし、それにえらい吹雪になりましたさかい、泊っておいきやす」
 我に返ったおのぶは急いで新兵衛を引きとめる。
「御好意は有難いが夜道は馴れておりますから、それに雪明りなら大事ありますまい」
 男は女主人の言葉に甘えることなく革足袋を履き、帰り支度を始めた。新兵衛はここから半里ほど川下にある津田村の安宿から、治兵衛屋敷へ毎朝かよってきていた。
「それじや蓑を着ておいきやしたら、いま向こうから持って参じますわ」
 胸襟を開いて話の出来る者が身近にいないおのぶは、僅かな時間でも心の通い合う人間と一緒に居たいと願っていた。
「わざわざ持ってきて頂くのも気の毒ですから、じや貰いに上がりましょう」
「それでしたら先に八重ちやんを送って行って貰えませんか。その間に出しときますよってに」
「それじやそうしましょうか。そちらへは後ほど廻ることにします」
 正月らしく桃割れに結った髪に紅いしぼりの手絡(てがら)をかけた八重は、来客の接待に疲れたらしく眠そうな眼をこすりながら男に送られて帰って行った。おのぶは歌に火の始末や戸締りを頼むと、襟巻を頭から被って戸外へ出た。する と先刻までの吹雪はひととき治まったらしく、すぐ目の前に雪て白く染まった納屋や土蔵の建物が浮かびあがっている。隠居所へ行くまでに下駄の歯につまっだ雪を飛び石の上で蹴り落として戸口までくるともう一度、足元の雪を丁寧にはらって家へ入った。
 火の気のない家の中は冷えびえしており、背筋に悪寒を覚える程だ。おのぶは小燈(ことぼし)に火をつけると炉に柴を焚き、土間の隅へ吊しておいた蓑をおろした。長い間、使用していない客用の蓑は良く乾いていたが、うっすら白い埃を被っている。布切れで埃を払い結んであっだ紐を解く。それを上り框へ置き炉に柴を足していると戸外で男の声がした。気もそぞろに内側から戸を引く。すると思いがけない近さに男の胸があった。
 「どうぞ。外は寒おすのて内で着ていっておくれやす」
 おのぶは脇へ身を避けて男を家の中へ請じ入れた。
「長いこと使うてまへんので一寸、埃ぽいかも知れません が―」
 おのぶは蓑を手にとり男の背後へ廻って着せかけようと爪先立った。その時だった。彼女の胸裡に今夜、新兵衛と共に過したいという想いが募り思わず男の背に頬を寄せる。
「今夜ここにずっと居ておくれやす」
 心を寄せている男の背にもたれ、これだけ言うのが精いっぱいだった。しかし男はくぐもった声で、
「そんなわけにも参りますまい」
という。
「ひとにどう誹られたかて、私はかましまへん」
「そんなことではないのです。お家はんの気持は嬉しいのですが、それをお受けしてしもうたらあんさんを不幸にするだけですから」
「不幸にするやなんて、そないにこの私がお嫌いですのか」
 お家はんとしての衿持をかなぐり捨てて慕う男を引きとめようと心を砕く女を前に、しばらく沈黙していた男はやがて重い口を開いた。
「実は来月早々、大塩さまの御用で遠い旅に出る予定なんです。大事な使いですので、帰りも何時になるのか判りませんので」
「そんなこと伺うだら尚のこと帰(い)なさしまへん」
 旅に出るというその一言におのぶの心はいっそう燃えあがる。男の背を離れて戸口へ寄ったおのぶは、急いで表の戸に樫の心張り棒を落とした。
 新兵衛がおのぶの寝所を明方に出て、雪の舞う街道を踏み固めて行ってから一月あまり経つ。男はあの翌々日、才治郎と大坂へ出掛けて行ったきりだ。
 正月の三日に積もるほど降った雪もそれっきりで、あとは素麺をこしらえるのにもってこいの晴れた寒い日が続いている。治兵衛屋敷の庭先では今日もハタに干された素麺がまるで真白なスダレを吊したように並んでおり、それを忠右衛門や小左衛門たちがクダと呼ぱれる竹の棒で器用にさばいて行く。山里での素麺つくりは今が最盛期であった。
「忠はんの手はいつもながら鮮やかだすな」
 治兵衛は母親を振り返っていった。おのぶはそんな息子に笑顔を返し、自分もクダを手にとってハタに干された素麺を途中て切らさないよう、心をくばって細く細く伸ばし始めた。何時の間にか見よう見まねてクダが扱えるようになっていた。

    (つづく)

  Copyright by Aiko Maeda 前田 愛子 reserved


「氷室の狼煙」目次/その4/その6

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ