Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.5.13修正
1999.7.14

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大塩の乱関係論文集目次


「小川家文書調査に参加して」

政野 敦子

『大塩研究 第40号』1999.3より転載


◇禁転載◇

 大塩平八郎は、天保三年(一八三二)六月、門人白井孝右衛門・松浦誠之を伴って、江州高島郡小川村に、わが国陽明学の祖中江藤樹の藤樹書院を訪ねた。その時案内したのが小川村医師志村周次で、これを機に大塩門人になった。平八郎は、その後数回講義のために書院を訪ね、書院修復の費用を寄付し、また『王陽明全集』や『洗心洞箚記』を贈るなど、書院の発展に力を注いだ。かつてこの小川村に小川城があって、戦国時代、佐々木六角の臣小川主膳秀則の居城であった。城は信長の近江侵攻によって落城したが、小川家は連綿と続き、藤樹書院と深くかかわってきた。

 藤樹神社の宮司を務める小川家から、中江藤樹記念館に寄託された文書の整理が、島田耕氏のお世話で道をつけ、大塩事件研究会で進められることになった。平成八年八月、安曇川町からの委嘱を受けて、酒井会長指揮のもとに、研究会をはじめ有志の手で、小川家文書調査が始まり、私は九月から参加して、同町の中江藤樹記念館と、一時期文書を搬出した天理大学に通って、終了するまで二年余にわたって文書の整理に携わったので、その感想を記して報告にかえたいと思う。

 文書は私の想像に反して簿冊類はきわめて少なく、一紙もの、それもこまかいものが多く、乱雑に幾つかのダンボールに入っていた。整理のために作られた封筒に入っているもの、整理力ードが付いているものなどは、私達が着手する前に調査をして中断された模様である。またこよりでとじてあった穴があってばらけているもの、或は、包紙だけで中身のないもの等々、推察するところ研究目的の史料を探し、欲するものだけを取り出して、元のとおりに戻していない、つまりかき回してしまってあると云っても過言でない状態であった。保存状態が良かったなら、凡その仕分けをして、その分類ごとに担当者をきめて作業にかかれるのであろうが、このような状態では、どのような文書が出てくるか見当がつかないので、その都度項目を立てていくのであった。一応カードが全部付いて、次に項目ごと年代順に並べる作業にこぎつけた。私は専ら書状を、差出人別に、それを五十音順に、更にそれぞれ年代順に並べることを引受けたが、これには随分手間がかかった。自分から言い出したのだからやるよりほかなかった。氏名の読み誤りを発見すると五十音順を移し替えねばならない。書状の大きさが異なる上に、整理の封筒入りのものとそうでないものが混在して、幾通かまとめて帯封をかけたり、紐で結んでおいても、移し替えがあるとすぐにくずれて前後が乱れてしまい、揃え直さねぱならない。漸く出来たと喜んだのも束の間、別の箱から未点検の書状が多数見つかって、それを読んでカードを作って、すでに並べた中に加えていくのは、始めから並べるのと同じくらい時間を費やした。これが印刷物だとさぞストレスがたまっただろう。しかし、墨書であることが幸いで、疲労よりも親しみを覚え、頻繁に見る名前には近親者のような気持さえ湧いて来た。

項目ごとに分類され、年代順に並べられたものを再点検することになった。それは印刷物の校正と同じ、いやそれ以上に大切なことで、見る眼が変わると、やはり読み誤りや、カードの不備が出てきた。

 この文書整理で嬉しい発見をした。汚れた袋の外に「領収書約四○○点」とカードが付いているのを開いてみると、不揃いの紙片が多数入っていた。一枚ずつカードを付けるよう指示されたときは鷲いた。それは主に諸税の領収書であった。私は、まず役場別に分けた。こよりの穴の位置の合うものを揃えた。役場名のわからないのは、紙の形、こよりの穴、名前や筆跡を照合するなどにより判断した。次に税の種類別に、年代順に並べると、見違えるように整った。明治十年頃は「○○日切」「請取」と書いてあるだけで、納入通知書と領収書を兼ねており、通知書発行年月日は書いて居ない。或は税金と頼母子掛金や、税金と小学校寄付金を併記してあるなど、事務の不慣れを感じる。十七・八年頃から幾分改善され、十九年・二十年になると、発行年月日・納入期日・領収年月日が、それぞれ書かれるようになり、役場によっては領収書が別になっている。このように戸長役場時代を経て、明治二十二年市町村制施行により、手書きが印刷物となる。公印も必ず押されるようになる。明治の行政が末端の村役場で、どのよろに整備され、進歩してきたか、その実際を領収書がら知ることができた喜びはいつまでも忘れられないだろう。

 今回の調査に参加して私は多くのことを学んだ。古文書は先祖の遣産であり、大切に保存して後世に伝えなければならない。また死蔵するのではなく、歴史の発掘に活用すべきである。そのために、文書はまず整理して、目録を完備する必要がある。古文書は字面を読むだけではなく、内容を理解できなければならない。正しく読んで内容をよく把握できてこそ、目録を作るにあたっても、適正な表題をつけ、正しい分類ができる。古文書を読むということは限りなく深いものだと思う。文書を整理する能力も必要で、如何に正しく、合理的・能率的にやるか、つまり創意工夫や忍耐力も養わねばならない。私はまだ文書を読むことが未熟で、作業に時間がかかった。いろいろ体験したこと、反省したこと、次の機会の教訓としたい。このような心構えと共に、調査にあたっては、全般的なこととしてつぎのようなことが挙げられる。

 事前に文書整理上の基本的な注意事項・方針を徹底しておくこと。作業に必要な資料(例えば地図・自治体要覧・地名辞典)能率化・合理化のために、仕切りのできる紙箱や袋、紙紐、写真撮影のために白紙など消耗品類の準備も必要だと思う。人数が多いと却って誰かがやってくれるだろうと人に依存しやすい。あらまし仕分けした段階で分担を決めて責任をもつのも一つの方法であろう。

 最後になったが、この繁雑な文書調査にあたって、一切の責任を負い、すべての文書の最終点検をされた酒井先生や、訂正の多いワープロ打ちを、いつも快くやってくださった久保在久様、何かとお世話になった藤樹書院の方々に深く感謝いたします。

 ここでは、文書整理で得た体験を記すにとどめたが、文書全体や、特記すべき資料については、別途刊行予定の小川家文書目録を参考されたい。


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尾崎真二郎「江州上小川村小川城太夫・志村周次宛杉浦三作書状


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