Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.7.14

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「江州上小川村小川城太夫・志村周次宛杉浦三作書状」

尾崎真二郎

『大塩研究 第38号』1997.3より転載


◇禁転載◇


この書状は、安曇川町立近江聖人中江藤樹記念館(滋賀県高島郡安曇川町上小川六九番地)寄託の小川秀治氏 文書の中から最近発見ざれたものである。小川家文書については、天理大学酒井一研究室が安曇川町から平成八・九年度の二か年にわたって調査を委託され、平成八年八月から大塩事件研究会有志を中心に毎月整理、目録づくりに取り組んでいる。

宛名の小川城太夫は、この地の有力小領主ともいうベき家筋で、今も往時を偲ぱせる屋敷地と門があり、小川 秀治氏はその子孫に当り、藤樹神社の官司を務めている。志村周次はいうまでもなく大塩の門人で乱に参加した人物である。中斎と小川城太夫の初対面は、中斎が天保三年(「八三二)六月五日に門弟の白井孝右衛門・松浦誠之らを伴って初めて藤樹書院を訪問した時で、その時詠んだ周次の父周介への中斎の献詩があるので(石崎東国「大塩平八郎伝」)、おそらく志村周次も同席したであろう。小川家と志村家は代々徳本堂(藤樹書院)の守【示兆】(世話方)を務めていた。

 その後城太夫は中斎と書翰の往来もあり、また同人からは書物を贈られたことも再三に及んだ。小川文書の中には城太夫に贈られた家塾蔵板の『洗心洞箚記』乾・坤の二巻がある。乾の巻は題箋を欠くが「尚々春寒随分御自愛可被成候、一同へ御伝声被下私より宣可申様頼居候、以上 小川城太夫様」という切紙の一紙が付けられ、坤の巻には「小川城太夫様 貴答 大塩格之助」とあって、書状の包紙の上書とみられる折目のある一紙が貼りつけられている。 書状にある陽明全書は、「王陽明全書」のこと。ちなみに藤村記念館には「王陽明先生全集四帙二十三冊、付 諸藤村中江先生之書院 天保西癸巳夏六月 浪華後学大塩後素」とまぎれもない中斎署名入りの帙に入った、 「王陽明全集」(同里愈嵩庵重編、敦厚堂倉板)が架蔵されている。

 文中の「郷党翼伝」は中江藤樹が寛永十六年(一六三九年)三二歳の秋に『論語』」郷党篇をよんで感得、触発され、進んでその解説を作ることを決心して始めたもので、論語郷党啓蒙翼伝」としてまとめられた。『藤樹先生全書』巻四(『藤樹先生全書』一、昭和三年)に収められているが、藤樹記念館にも板本がある。

 この小川家文書については、すでに駒井正三氏が本誌28号で取り上げ、中斎・城太夫・周次について触れるところがあるが、その中で、上掲書状の発信人杉浦三作を近江大溝藩の剣術指甫役で、城太夫に仕官をすすめたことが指摘されている。

書状の大意は三作が某から藤樹書院から借りたと思われる「陽明全書」を返却されて飛脚便で返送し、また「郷党翼伝」を入手して某に見せたところ悦び、よろしく伝えてくれといわれたということであろう。年代は未詳。問題は某がだれにあたるのか。文面から察して藩主か、分部一族であろう。藩主なら若くして天保一一年に致仕した分部光寧かその養子で後を継いだ光貞、一門なら分部復(通称図書、字天行、大塩門人)あたりであろうが、特定できない。調査の進行とともに明らかになることを参加者の一人として期待したい。 (本会会員)


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