Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.5

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大塩の乱関係論文集目次


「天命を奉じ 天討致し候」 その10

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

 町年寄ら六人は、お茶のおかわりを所望せず、これで今日の見廻りはすんだというように腰を上げた。与一郎は店先の暖簾を押し分けると、そこでふと立ちどまり、框のへりに正座して一同を見送っている五郎兵衛の方を振り向いた。
「言わずもがなのことを申すようだが、五郎兵衛さんも随分と気イつけなぁあかへんで。お奉行所じゃあ、反賊の父子は、案外市中に潜んでおるのかも知れんと言いはじめておるそうや。そのてはじめに今、お寺はんや神社はんまでもしらみっつぶしに調べ廻っておるでぇ」
 与一郎の背中を見詰めたまま五郎兵衛は、頭から冷や水を浴びせられたように身顫いが走った。白い通りが痛いように目に染みた。
 大塩焼けの有様を、五郎兵衛はいまだに大塩父子にひとことも話してはいない。
 炎と煙の中を商品を背負い、泣き叫ぶ子の手を引いて逃げまどっていた人々の哀れな姿は先生父子はんの目にも当然焼きついているはずだ。それなのに火事の後市中がどうなったのか、先生は一度も訊ねようとしないではないか。もしかしたら先生は自分からも逃げ出そうとしているのではないかと、五郎兵衛ははじめて疑問を感じた。
 幕府への内報によれば、二日に及んだ大塩焼けで、焼失した家屋は三千三百八十九、かまどの数で表わした世帯の数になると一万二千五百七十八にのぼった。
 町奉行所も、ことここに至っては手を拱(こまね)いているわけにはいかなくなった。だが采配を振ったのは大坂城代で、遅巻き ながら幕府の役所が一体になって救民対策に乗り出した。
 焼け出された上身を寄せる先のない困窮者のためにお救い小屋が天王寺御蔵跡と天満橋の南北両詰の三ケ所に建てられた。その日の食べものにもこと欠く人々には、大坂定番の蔵から二千石の米を放出して、一軒平均二升八合あて配った。
 御上に求められれば豪商、富商も重い腰を上げざるを得ない。金持ちたちが差し出した義損金は四十八口、銭二万七千三百二十五貫文(約六千八百両)にのぼり、貧家に一貫文(一両の四分の一)ずつが支給された。
 大塩焼けは、むろん大塩自身を許さず、見逃すことはしなかった。米価をはじめ諸式の値段が暴騰したからだ。
 堂島米会所の相場記録によれば、肥後米一石あたりで、乱の直後には百六十三匁五分と早くも五分六厘(五・六パーセント)値上がりした。端境期に入った四月初めには、これが二百十匁六分と三割六分、五月には二百三十二匁七分と三ケ月の間に五割もの値上がりをよんだ。これにつれて、麦や大豆、小豆などの相場もいちじるしい値上がりを見せた。
 米価の騰勢がどうやらおさまり落ち着きを見せたのは、秋の収獲が五年振りに平年作を上まわる見込みがついた十月以降のことである。
 こうした先のことまでむろん大塩父子は知る由もないが、兵火によって米価や諸式がどうなったか、気にならないはずはなかった。
「格之助、このところ飯が急に水っぽくて、まずくなったとは思わぬか」
 家つき娘のかつが、さっき差し入れて来た朝飯の包み紙を手にして中斎が話しかけた。格之助の分ももちろんそうだが、かなり厚手の紙なのに、びしょびしょに濡れて、掌にべっとりとくっついてしまう。
「わたくしも気づいておりましたが。見たところ、豆腐のしぼり滓(かす)のおからを混ぜて炊いているようです。ここに白く透 けて見えていみのは干し大根の千切りと違いますか」
「するとこの青いのは大根の葉か。どうも腹が空いてならぬと思うておったわ」
「もしかしてわたしどもの兵火のために、米や諸式が値上がりしておるのではないでしょうか」
 格之助は、民をかえって困窮させている恐れはありますまいか、と喉まで出かかった。が、その気配を察した中斎は、髭面に埋まっていた両眼をかっと見開き、格之助に挑みかかるように吠えた。
「なにっ、わしらのせいでなんぞであるものか。命懸けのわしの献案を無視し、金持ち連中から金を借り出そうとすればそれにも邪魔を入れた跡部自身の負うべきものだ。何もかも跡部の奴の自業自得なのだ。やはり天は見ていたというわけだ」
 わぁっはっは、ざまを見ろっ、と中斎は腹の底から高笑いすると、畳の上を転がり廻ってなおも笑いつづけた。不意に笑いをやめた中斎の両眼には、ひかるものが盛り上がり、離れの薄明かりの中で二つの蛍火のように見えた。格之助は、目にしてはならないものを見てしまったと、座敷の隣によどんでいる闇の中に目を逸(そ)らせた。



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