Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.7

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「天命を奉じ 天討致し候」 その11

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

十一

 その闇の中から絹糸を張ったような細い両眼がじっと見つめているように思え、はっとなった。
 去年十一月初めのあの日、跡部から浴びせられた侮蔑の言葉を、闇の沈黙が一言一句思い起こさせたのだ。跡部の青白く広い額にはそのとき青筋がいくつも走り、息がねばっこかった。
「なにが救民策だと。偉そうにくどくどと奉行たるこのわしに指図しおる。隠居したくせして思い上がるのもいい加減にせい」 緊要の献策を書き連ねた養父の書状を三度目に持参して、格之助が御用部屋に跡部をたずねた折りのことだ。
「ひと言なりとご返事を賜りたいと、養父がこう申しておりますので、なにとぞ――」
 格之助がおそるおそる奉行を見上げて言上すると、書見から目をはなした跡部は、それではこれまでの分を含めてまとめて返答致してつかわす、上言って気色ばんだ。
「よく聞け、大塩格之助。政事(まつりごと)と申すはな、何をおいても徳川将軍家の社稷(しゃしょく)を守り立てご安泰せしめることにその根本があるのだ。徳川家あっての民百姓であるからあたりまえのことだ。ここのところがおぬしの親父のような田舎与力に はわかっておらぬようだ」
 跡部は片頬をゆがめ、さもおかしそうに笑った。
(何があたりまえのことか、民あっての徳川家ではないか)
 格之助はあやうく逆上するところであった。
「まあわしら徳川家直参の旗本とおぬしらのような地役人との相違じゃな」
 跡部の広い額に浮き出た脂が、行灯の光をはじいた。
「ところがだ。大塩中斎という男、民を徳川家の上におこうとしておる。許せぬ。下民を惑わす怪しからん学者じゃ。学者ならば学者らしく政事は奉行にまかせて己れは引っ込んでおれっ。これがわしからの返事じゃと、そう伝えよ」
 いつもの狡猾な表情に戻った跡部は、退出しようと腰をあげかけた格之助を手で制すると、追い打ちをかけた。
「よいか、これ以上献策とやらを上申して来おったら、隠居与力と言えども容赦はせぬ。御上に逆らう反徒として引っ捕らえるからな」
 中斎とやらにそう申し伝えよっ、跡部は平伏している格之助に一瞥をくれると畳を蹴って立ち上がった。部屋を出て行きがてら(中斎だか猪口才(ちょこざい)だか知らんが)と吐いた跡部の呟きを格之助は聞き逃さなかった。
 格之助は、跡部の言葉をありのまま養父に伝えた。黙念と聴き入っていた中斎は、やがて組んでいた腕を解くと、昂然と胸を張り、虚空の中に一点を見据えた。
 追い詰められた中斎が挙兵を決意し、檄文の筆をとったのは、その跡部が米を江戸に送ろうと、密かに米の買い集めをしていることを知ったのがきっかけだった。
 大坂市内などに廻すべき米を、わざわざ江戸に廻送しようと図ったのは、表向きには東北地方からの廻米が減った江戸を救うためだと説明されていた。だが奉行所の中で大塩に心を寄せていた者がしらせて来たところでは、裏の理由があった。実は跡部のもとに、幕閣から将軍宣下の大礼に備えて至急米を集めて江戸に廻すよう内達(ないたつ)があったというのである。

 第十二代将軍には現将軍家斉の二男の家慶が内定していて翌天保八年の九月には、将軍宣下の式典が華々しくとり行われる予定になっていた。
 幕府の命令とあれ理非を越えて犬のように忠実にしたがばうのが跡部にとっての政事である。徳川家の社稜を守るのが第一のつとめだと言い切った跡部の言葉を、中斎が忘れるはずはない。自分ひとりの出世のためなら足下の民の苦しみに頓着しない為政者とは、中斎の思考の中では覇者の単なる番犬でしかない。治者たる資格を失ったただの悪徳漢に過ぎず、それならば誅伐(ちゅうばつ)されて然るべき存在だと映った。中斎の正義は、たぎる温度が高まるにつれ、挙兵への登り坂を見上げるようになった。



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