Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.11

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「天命を奉じ 天討致し候」 その12

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

十二

 天保七年も師走に入ったが、飢饉つづきとあってはいつもの年のような賑わいば望むべくもない。天下の台所の呼び声も虚名に落ちたかと思わせる、灯の消えたような大坂であった。
 海からの強い風が吹きつけるある晴れた日、中斎は十徳の焙烙頭巾を冠り町に出た。天満橋を渡って跡部のいる東町奉一所を左手に見て右折し、東横堀川にかかる高麗橋を越えて船場に足を踏み入れた。船場はかき入れどきの師走だと言うのに大店も小店も活気というものがまるでなかった。おや、思うほどに店先が賑わっていたのは米屋だけだった。
 笊(ざる)や布袋を手にした人々が長い行列をつくり、待たされたうえに一升、二升とわずかの米を争うように求めている。米一升では家族の人数にもよろうが、粥飯(かゆ)にしたところで二三日しかもたないだろうことは、中斎にもわかる。米屋の店先にたたずんで跳めているうちに、中斎は客に対する店の者たちの横柄な態度に胸糞が悪くなった。跡部に似た人間は、役人の中ばかりでなく、いたるところ、町人の中にさえも大勢いるのだなと、胸が塞がる思いを味わった。
 干からびた煎餅(せんべい)を思わせる日輪はこの日も地上の生きものを炒めものにでもするように残酷に照り輝いている。
 船場の町をひとめぐりして東横堀川の岸辺に戻り本町橋にさしかかったとき、痩せこけた子連れの若い女が橋の真中あたりにたたずんでいるのが見えた。中斎はなにげなく足をとめて見ていると、いきなり女が幼な子を小脇に抱え上げ、欄干をまたいで川に飛び込んだのだ。乱れた髪が傘を開いたように広がった瞬間、黒い蝶が舞い降りたかに見えた。
 あっと言う間もなく、白昼夢としか言いようがなかった。橋を渡っていた四、五人の男は、母子が飛び込んだ水面を無気力に眺めているだけで、二人を助けようと動き出す者は見当らない。中斎自身も、不意打ちをくらったかのようにわなわなと唇が顫え、手も足も棒のように固まって自分のものではなくなった。
 ――おっ、浮き上がったわい、ああ今度は沈みよったわ。
 人声が騒々しく耳元を掻き鳴らして、中斎ははっと、われにかえった。
(わしはあの母娘がもしや身投げをするのでは、とわかっておった。しかしそれを止めようとせず、みすみす見殺しにしてしまった。呪縄にかかったように身動きがとれなかった。何故なのだ、このわしともあろう者が)
 いまさら無駄だとわかっていても中斎は、岸辺に駆け寄り、白々しい光をはじく川面に目を投げた。
(これまでわしは自得した学問をとくとくと講義し、自説をひろめようと書物も著したりして来た。だがいったいそれが、いつどのように世人の役に立ったというのか)
 悔恨と自己嫌悪を引きずるようにして天満の屋敷にたどり着くと、中斎はそのまま玄関に倒れ込んだ。帰る道すがら天満橋の上で見上げた碧い空の瑞を、透きとおるような白虹が貫いているのを中斎の眸がとらえた。熱い潮が腹の底からひたひたと胸元へ迫り上がり、双鉾からとめどなく溢れ出るものがあった。
 その日夜半から中斎は洗心洞の自分の書斎に籠り、檄文の執筆にとりかかった。門弟はむろんのこと、格之助や妻のゆうにも立ち入ることを一切禁じ、食事も声をかけるまでは運んで来ないようにと命じた。
 手元に行灯を引き奇せ、筆を持った右の手を頬に当てて、中斎は考え込んでいた。あの母子に一椀の飯をめぐんでやる者が何故いなかったのだろう。いやその気があったとしても他人に食べ物を分けてやるゆとりがないのだろう。
 その一方で米を山のように蔵いっぱい貯め込んで値上がりを待っている商人連中がいる。そしてそんな奴輩をぬくぬくとのさばらせ、お零(こぼ)れにさえあずかっているのが奉行所の役人のほとんどだ。大木とて根元が腐れば、枝葉は枯れるのが道理ではないか。民を咎めることは、だから間違っている。
(出さないならば、出させればいい。そうだ、わしはたった今天の囁きを聴いたぞ。大塩中斎という男が、この未曽有の飢饉をどう乗り越えようとするのか、天は今わしに試練を与えようとしているのに違いない)
 中斎の眼前に、黒い揚羽蝶が舞い降りたかと見ると、泡粒がぶくぶく浮き上がり、はじけるたびに液を吐き出した。白く濁った液は異臭を放っている。それは【足宛】(もが)く力も失せて静かに身を川底に沈めて行った若い母子のものなのだろう。
 奉書紙を机の真中に押し広げると、中斎は筆に墨をふくませて一気に筆を走らせた。
「四海困窮いたし候はば天禄永く断たん 小人に国家を治めしめれば災害並び至る」
 書き出しの文言は、古代支那の聖王の言行を記した書経の一節からとった。
 坤吟も煩悶もすることなく、筆は一気呵成に運んだ。天満橋の上で見た白虹が、ふたたび目の前にあらわれ中斎の眸を射した。
 檄文は、世直しの志を共有する民百姓らに決起を呼びかけるためのものであり、文章の中には信念と熱情のすべてを盛り込んだ。読みやすくするために漢文体を避け、漢字平仮名混じりで書き下ろした。
 檄文を書き進めて行くうちに中斎は、馴染むことの薄かったこの世への遺書とする気持が固まった。章句は一行一行熱を発し、一語一語が力をはらんだ。



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