Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.12

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「天命を奉じ 天討致し候」 その13

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

十三

 師走の大坂は冷えた西風が海から切れ目なしに流れ込む。勤めを終え長い影に追われるように組屋敷に戻った格之助を玄関の式台に迎えたのは妻のみねだった。みねは、奥でお母上様がご相談したいことがあると仰言って先刻よりお待ちしております、と知らせた。
 みねは格之助より六ツ年下の二十で、二年前の天保五年一月、格之助と夫婦になった。みねの父親は、洗心洞の早くからの高弟で、摂津国般若寺村の庄屋橋本忠兵衛である。
「ただ今戻って参りました、お母上様」
 格之助が襖を少し開け、その隙間から声をかけると義母のゆうが、
「お役目ご苦労様です」といつものように答えた後、手招きで中に入るようにと言った。
 大塩の妻ゆうは、曽根崎新地の料理茶屋大和屋和市の娘で、幼名はひろであった。若き日の大塩が、同輩の与力たちがよく出入りする料理茶屋というものを後学のためにのぞいてみようとある日ひとりで店にあがった。その折り、お座敷に挨拶にと罷り出たひろを一度で見初めて妻にと所望した。
 大和屋ではご身分ある与力様と茶屋の娘とではとても釣り合いがとれませぬから、このご縁談どうかご勘弁をと、尻ごみした。しかし言い出したら後に引かない大塩は、すでに門弟になっていた豪農の橋本忠兵衛に頼んで義妹とし、名もゆうと改めた上で迎えた。それほどまでして嫁にしたゆうであったが、何故か大塩は正式には妻とせず、妾として奉行所に届け出ていた。
 生まれつき才を秘めていたゆうは、夫の学問に興味を示し、また寄宿する塾生の面倒をみるのに献身的であった。
「相談ごとがあるやに承りましたが」
 格之助が心配顔で訊ねると、ゆうは、
「ご承知のとおり先生は、今日で四日も書斎に籠りきりで何やら夢中でお書きになっているご様子です。ところが昨日の朝からは、お茶をすするほかは何も召し上がっておいでになっていらっしやらないのですよ」
 夫のことを、ゆうは先生と呼ぶ。
「まことですか、それはいけませぬな。どこぞ身体の具合が悪いのと違いますか」
「いえ、そのようなご様子とは違います。襖戸の外からいかがなされていらっしゃいますか、と声をかけますと、うるさい、ほっておいてくれっ、とこうなのです」
 義母の憂いを聞くと格之助は、跡部に田舎与力呼ばわりされたことを知った養父が、屈辱に顔をゆがめたときの形相をとっさに思い浮かべた。その後愁いに沈んだ中斎は、急に老け込んだように面変わりしたのだ。
(もしや諌死(かんし)でもなさるおつもりではないのか)
 騒ぎを感じた格之助は義母の前を飛び出すと、別棟になっている養父の書斎へ駆けつけた。断わりも言わずに襖戸を開けて一歩中に踏み入ったが、行灯の明かりが消えている。

 暗がりに馴れて来た目で見ると、綿入れを重ね着した養父が右手にしっかりと筆をにぎったまま仰向けに倒れていた。書斎の中は氷室のように冷え冷えとしている。一瞬息が詰まった。
「いかが致しましたか、お父上っ」
 近寄った格之助が手の脈をとると、微かだが心の臓の鼓動が伝わって来る。徹夜つづきの書きものがこたえたのだろうと思った格之助が枕をあてがい、どてらを掛けてやると穏やかな寝息が今度ははっきりと聞こえて来た。養父の寝顔はどこか優しげな笑みさえも浮かべている。それは格之助が初めて見る自得した中斎の福相だった。
 安堵の息をつき机の上を見た格之助の目に、五枚の奉書紙を一字一字埋めた端正な文字が飛び込んで来た。すでに全文が浄書されているようだ。
(幕府の老中にでも訴える告発状のようなものだろうか)
 格之助はまっ先きに、五枚目の最後のくだりに目を飛ばした。
「奉天命致天討候 天保八丁酉年月日」とあり、あて先は御上ではなく、摂河泉播村村 庄屋年寄百姓並小前百姓共へとなっている。
(これは下々に訴える檄文ではないか。お父上は、ついに――)
眠りこけている養父に気づかれないよう、格之助は目を皿にして冒頭から檄文をはしり読みした。



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