Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.21

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「天命を奉じ 天討致し候」 その17

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

十七

「仰言るとおりだと思います」と鸚鵡返しに答えた格之助の脳裏に蜂起の前夜、中斎と塾頭の宇津木の間でたたかわされた激論の光景が映った。
「政事は目の前で結果責任が問われるもの。これに対しわれわれの学問修行は、後世後代の試練に堪え抜くことが出来るかどうかが問われる性質のもの。それを同日に論ずることに先生の根本的な考え違いがあります」
(宇津木の舌鋒に対し、問答無用とばかり、養父は斬殺をもって答えたのだ。塾頭に選んだのは父だったのに――。その父が今やっと宇津木と同じ考えにたどりついたということか)
 大勢の犠牲者を出し、随分と遠廻りして来たが、やっと旅の終わりに着いたという安堵感が格之助の胸にあふれた。
 板塀のところへ行った格之助はそこに立てかけてあった二振りの脇差を取り上げ、戻ると、その一振りを養父に手渡した。
「長きにわたるご薫陶(くんとう)ありがとうございました。これでもう思い残すことはありません」
 格之助はこう述べ、ではお父上、ともに参りましょう、と言って静かに鞘を払った。
 待てっ格之助、と叫んだのは中斎である。
「わしは差し違えて死ぬなど御免こうむる。天命はわしに、殺されるその刹那まで戦いぬくのがおまえの負わなければならぬ責めなのだと言っておる。わしはまだ死ねぬ」
「それはえげつないと言うもの、戦(いくさ)はとうに終わった以上、敗者には自刃(じじん)こそがふさわしいとはお思いになりませんのかっ」
 養父はみずからは敗北を認めたくはない、ただのだだっ子になり下がってしまったのだと、格之助は呻いた。やがて激情が通り過ぎ、虚脱感におおわれた格之助の瞼の裏に、別離の言葉を交わすことなく立ち去った家族ひとりひとりの顔がよぎった。大塩家の家族らは蜂起の半月ほど前、事情を知らされないまま、門弟の橋本忠兵衛の屋敷のある般若寺村に静養に出かけていた。
 中斎は敗走する道中で、忠兵衛に対し、ゆうとみねとに自決することをすすめるよう命じた。郷里にひとり逃げ戻った忠兵衛は、挙兵が失敗に終るまでのいきさつを初めて二人に打ち明け、師に命じられたとおり自裁するよう求めたのである。忠兵衛にとって、ゆうは名目上の妹であり、みねは実の娘である。
 ゆうとみねは、中斎からの指示を聞かされると、まずみねが、二つになったばかりの弓太郎の行くすえをどうにかして見守ってやるわけには行きませんかと、泣きじゃくった。だが、ゆうははっきりと自刃することを拒絶した。
「妾のわたいがなんで自刃せなああかんのや。わたいは今でも大塩の妻ではなくてただの妾なんでっせ、そうだんな忠兵衛はん」
 ゆうの申し条のとおり、大塩は自分が見初めたゆうを最後まで本妻に直さないままだった。あの中斎にして、ゆうの出自が料理茶屋の娘だったことにこだわりつづけていたのだろうかと思うと、義兄にあたる忠兵衛としても悔しさには変わらない。
「これからわたいはあの人とかかわりなく生きていきよります」
 決意を述べるかのようにこう断言すると、ゆうは、
「忠兵衛はん、わたいはなぁあの人と寝間をともにして一度だってわななかしてもろたことあらへんのでっせ。ほんまです。これがまことの夫婦でっしゃろか」
 忠兵衛が顔を赤らめるのにもかまわず、ゆうは鬱屈をはらすように喋ることをやめない。
「もともと縁がなかったお人やったんでっしゃろうなぁ。これでわては、やっとあの天狗のような男から自由になれたんや。一日でも、こうなったら生き延びとうなった」
 こう言うと、白髪の目立つゆうの顔ははにかみを見せ泣き笑いにくずれた。二人の女に運命を選べる道が残されているわけではなかったが、それでも自分の最期くらいはわがままに振舞うべきだと、忠兵衛は考えた。弓太郎をみねから受けとると、忠兵衛は、見苦しい死に方だけはしなさんなと二人に言い残してお城の見える方をめざしてひとり村を出た。足は東町奉行所に向いていた。
 しかし大塩の家族の運命も、多くの門弟たちにおとらず酷薄なものであった。自由になれたと喜んだのも束の間、ゆうは大坂与左衛門町の牢屋の中で衰弱死、忠兵衛もあとを追うように、牢死した。弓太郎だけは、幼児につき、大坂惣年寄の預かりと決まった。不思議なのは格之助の妻みねの運命で、その終末は知られていない。



 Copyright by 松原 誠 Makoto Mastubara reserved


「天命を奉じ 天討致し候」
目次/その16/その18

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ