Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.26

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大塩の乱関係論文集目次


「天命を奉じ 天討致し候」 その19

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

十九

「反賊の大塩平八郎と悴格之助の両人、必ず生け捕りにせい」大坂城代の土井大炊頭利位から跡部に厳命が下ったのは、この日三月二十六日の日が落ちてからである。
 碁盤の目のように町屋が立ち並んでいる油掛町一帯には、鼠一匹はい出る隙間もなく包囲網が張られた。捕り方の中心は定番方の与力同心たちで、内山ら町奉行所は後詰めにまわった。生け捕りをねらって多数の火消し人足までが動員ざ併れ、配置についていた。水攻めで抵抗力をうぱい大塩父子を召し捕ろうというのである。美吉冨の店の者は全員油掛町の町会所で禁足となった。
「お父上、今朝はどうしたわけか庭の虫が鳴きませんな、変だとは思いませぬか」
 一昨日の夜、差し違えて自刃するかどうかで諍いをしてからというもの、父子は目を合わせようとせず、ひと言も言葉を交わしていない。不貞寝を決め込んでいる中斎は、問いかけをも無視したので仕方なく格之助は立ち上がり雨戸の隙間から庭をのぞいた。
 鴉が飛んだかのように黒い影が一つ二つ、庭石の上をかすめたように見えた。
「父上っ、捕り方ですぞっ」
 あやつり人形のようにがぱっとはね起きると中斎は押し入れに首を突っ込んで胴乱(どうらん)を引っぱり出した。胴乱の中には、挙兵の際に用意した火薬の使い残しが詰められている。中斎はその胴乱を小脇に抱えると逆さに振って座敷中にまき散ら し始めた。
「これでよし、跡部め、内山め。おまえら姦吏に生け捕りされるような大塩ではないわ。わしはな天に昇り、神となって未来永劫、汚吏、貪商どもを懲らしめるのだ」
 わっはっはっは、中斎は白い髭で塞がれた口元を思い切り開けて哄笑した。
「父上っ、ここは美吉屋の家ですぞっ」
「美吉屋には厄介かけたわ。あの世で詫びを入れようぞ。だがな姿形の無い神になるには煙となって天に昇るのが一番なのだ」
 いつの間にか抜き身の懐剣を後ろ手にしていた中斎は不意に身を躍らせて格之助に体当たりした。冷たい刀身が柄まで通り格之助の脇腹を深々とえぐった。
「ご、ご無体なっ、父上っ――火を掛けるのだけは止めて下ざい――」



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