Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.30

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大塩の乱関係論文集目次


「天命を奉じ 天討致し候」 その8

松原 誠

『時代小説大全』(別冊歴史読本 98春号)
新人物往来社 1998.3 より転載


◇禁転載◇

 もはや堪忍なし難し――中斎が、元与力としてはじめて行動にうつったのは、天保七年の秋である。
 一つは、東町奉行の跡部山城守に救民策を早急にこうじるよう献策することであった。もう一つは大坂の豪商、官商らに貧民救済のために金穀(きんこく)の供出を求めることだった。
 跡部は去年七月、和泉の堺奉行から栄転して来た男で、老中の水野越前守忠邦の実弟である。跡部が着任して間もない天保七年九月のある日、中斎は読礼堂と名づけた洗心洞の講堂で講義をすませると、格之助に一通の書状を手渡した。
「格之助、これは庶人の窮迫ぶりを見るに見かねて認めたわしからの献策だ。新任御奉行の跡部様に差し上げ、是非ご高覧いただきたいと申しあげてくれ」
 格之助が開いて見ると、純白の檀紙の巻紙に、びっしりと字が連ねられている。手紙を巻き戻しながら格之助は、直接奉行に会って手渡した方が意を尽せるのではないかと、養父に進言した。
「そうしたいところだがな。わしは堺奉行在任中の評判を伝え聞いた上で会うのはやめにしたのだ。跡部殿はご老中の実弟であることを鼻にかけて権柄ずくの男らしい。どうやらわしがもっとも嫌う種類の人物のようだ。面談中、口論にでもなれば、元も子もなくなるからな」
 中斎は冗談とも本気ともつかない言い方をして苦笑いした。格之助はその中に跡部は所詮自分の策を取り上げることはあるまいという淋しさがにじんでいるのを感じ取った。
 翌日御用部屋に奉行を訪ねた格之助は、何か決裁の書類に目をとおしていた跡部の前に進み出た。
「それがしの養父にて隠居した元与力大塩平八郎より御奉行様に差し上げるようにと、申しつかって参りました。ご披見賜わるよう伏してお順い申しあげます」
 格之助はうやうやしくこう言って、状箱を差し出した。
「何やらごたいそうな書状のようだな」
 跡部は皮肉を込めた言い方をしながら状箱を開けて中斎の手紙を取り上げた。「上」と大書された文字を跡部は一瞬凝視した。
「大塩中斎のことだな。その男のことならばわしもいろいろと聞いておるぞ」
 言い終えると、跡部はぶ厚い書状の封も開かずに自分の机の端にぽんとのせた。机の上には、書類やら本やらが雑然と積まれていて今にも崩れ落ちそうになっている。
 跡部の無礼な仕打ちにかっとなった格之助は挨拶の言葉を口の中にとどめ、無言のまま御用部屋を退出した。ちらりと横目で見た机の端からは、養父の手紙の白さが今にもこぼれ落ちそうだった。
 養父をわざと「その男」と呼んだ跡部の言葉に悪意が込められているのを、格之助は与力部屋に戻る暗い廊下を軋ませながら確かめた。黒い不気味な雲が、養父の行く手に立ち塞がるのが見える。格之助の脇の下は、冷や汗で濡れた。
 中斎の献言の中身は大きく分けて三つあった。一つは備荒米として町奉行が管理貯蔵している官倉(かんそう)を開けて困窮者に米 を安値で売り渡す。二つ目は、市内の金持ち商人から金穀を拠出させて貧民に恵み与える。三つ圏としてお救い小屋を建てて身体の衰弱した者や病気にかかった人たちを収容し手当てしてやる。
 中斎にしてみれば、これらの策は目新しいものではなく、治者たる町奉行のつとめでもあり、その気にさえなれば今日、明日からでもとりかかれる施策であった。格之助をつうじて行った中斎の献言は、両三度にも及んだが、跡部はそのつど黙殺することで答えた。大塩の人格そのものの拒絶だった。
 この間跡部が積極的に行ったと言えるのは、米商人に大坂以外への米の積み出しを厳禁すると命じただけだった。対象となったのは、大坂市中をはじめ摂津、河内、和泉、播磨の四ケ国にある天領の米商人である。この措置で、それまで大坂からの廻米に多くを頼っていた京や伏見の米不足はかえって深刻になり、窮民がどっと増えた。
(一片の触れでこの事態を乗り切れるとまことに思っておるのか、小賢しい姦吏め)
 それなら直接金持ちに掛け合うほかに手はないと考え、中斎は独自の窮民策を作った。まず十二軒の豪商、富商から、大塩の名儀であわせて六万両を借り入れ、窮民に貸し与えて来年秋の収獲で返済させる。必要ならば、有力な門弟二十人あまりの俸禄をも担保にあてるというものだった。洗心洞が一丸となっての捨て身の策である。
 この案を認めた大塩直筆の書状を持ち、門弟たちが手分けして廻ったのは、今橋筋の鴻池をはじめ天王寺屋、平野屋、また高麗橋筋では三井家や升屋、それに内平野町の米屋といった長者の店や屋敷であった。
 ところがこれらの大金持は、相談の上「せっかくのお申し出でございますが、御意に添いかねます」と、大塩のところへ揃って断わりを入れて来た。捨て身の救民策も泡のようにあっけなくはじけとんだ。だがその背後には「わしの顔を潰すような真似はさせない」という跡部の陰険な臭いを、中斎は鋭く嗅ぎとっていた。もはや力ずくで米を奪い窮民に振舞ってやる道しか、中斎の眼前には残されていないように見えた。



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