Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


「廖柴舟と大塩後素」
その12
町田柳塘(町田源太郎)

『上杉謙信』得能文著 (偉人史叢 第19巻) 裳華書房 1898 所収

◇禁転載◇

 管理人註
   

大塩の職に在りしは僅々の歳月にして、天保元年に老を告げ仕を致す、 時に三十七歳なり、而して在職中、妖巫豊田貢(今の蓮門天理諸教と髣 髴たり)を刑し、猾吏弓削某の奸をし、僧侶の淫虐を懲す等、吏績挙 げて数へ難し、其職卑しと雖ども、吏民の之を畏敬すること神の如く なりしは、柴舟の如き一窮措大の夢想せざる所なり、当時頼山陽は一 代の文豪にして、名声藉甚、海内の士人、一たび其謦咳に接するを栄と す、大塩、山陽より少きこと十数歳(大塩三十九歳の秋山陽易簀す)の 後進にして、忘年の交を結び、十余年間相往来して、道を謂じ、文を論 ずるを見れば、彼の人品、学問の非凡なること推知すべし、暴挙を以て 身を亡ぼせしは、四十四歳の三月なり、其齢、未だ老たりと云ふにあら ず、若し彼をして恬退書を読み、天寿を以て終らしめば、学業の造 詣、著述の豊富測るべからず、中江藤樹、三輪執斎、熊沢蕃山等に 継で本邦王学の碩儒として、流風遺沢、千百年の後に至るも尽きざ るべし、柴舟が一生、寒乞佗に終りしに比すれば、其優劣、天壌 も啻ならざりしならん、事此に出でず、窮民の凍餓、富豪の驕奢と、 有司の暴横不仁を視て、一片の侠心に駆られ、身亡び名汚れ、九族夷滅 せられ、将に清輝を揚げんとせし王学も、併せて影を西山に収めしは、 惜みても猶惜むべし、思ふて此に至れば、柴舟の轗軻不遇、却て悲む に足らざるなり、弟子の随従、名声の伝播、王漁洋、袁子才等の如く盛 ならざるも、身後の毀りを受くる亦両家の如くならず、林下に箕踞して、 白眼、世上を睥睨し、簡傲身を終る、亦文士、得意の最たるものなり、














易簀
(えきさく)
学徳の高い
人の死







恬退
(てんたい)








轗軻(かんか)
世間に認めら
れないこと

箕踞(ききょ)
両足をなげ出
してすわること

睥睨
(へきげい)


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