大塩死して二十年ならざるに端なく尊攘の議起りて、天下の志士幕府に
反抗し、終に維新の大業を成就す、是幕府、天下の勇智聡明を抑蔽する
の術、清朝に及ばざるがため乎、将神州の正気磅として彼国に卓越す
るものあるがため乎、蓋し多年抑塞鬱積せるもの、一時に発舒せしに由
れり、顧みて彼国を観れば、施す所の術、我より巧にして、元気全く消
耗し、復発舒するの勢無し、大塩、其の剳記に記して曰く『明亡以来、
舶来易経、註釈之叙次、大率朱子本義先程子伝、程子伝後朱子本義、
是即師弟逆坐、父子倒行者也、吁、清人貴敷而不貴理之情、可見
矣、貴敷之弊乃至於遺棄君父而不趨其難矣、貴理則君臣之恩
不可与解於心、是以不忍遺棄而不食非類之腐敗者必出焉、
故他貴敷而不貴理不亦宜乎、』と、又曰く『清朝之学者多不貴
良知、非他、是阿上之所悪而已矣、上之所悪亦非他、良知即
孝弟而已矣、士人如真尽孝弟之心則其害乎已、有不可勝言
者、悪之以此也、吁、非勢乎、』と清朝儒者の弊実を摘抉して眼孔
矩の如し、清の康熙乾隆の二帝、詩書を以て天下を治め、文物制度の
粲然たる、人の知る所なり、然れども是れ皮相を粧ふの詐術にして、
其実柴舟の所謂天下を愚にするものと、大塩の所謂理を貴ばずして敷
を貴び孝弟を憎むものなり、柴舟其初に於て之を警醒し、大塩其国に居
らずして之を摘抉す、一雙の卓見と謂ふべし、抑も大塩の此に論及せる、
亦徳川氏、程朱の学を以て士人を薫陶し、其聡明を蔽ふの狡計を看破し
て、之に激せるなり、其清朝を仮りて、当時を議せるは猶柴舟の明太
祖を仮りて清朝の制義を議せるが如し、
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