其中でも木内竹次郎といふのが一番強いので、此人が先づ初段の人に八目位
ゐの手合せでありますから、我より強いものはあるまいかと思つて高慢の鼻
をうごめかし、忽ち三人の連を負しまして
「如何でござる大塩氏、未だ貴殿とは一面も手合せを仕まつりませんが、一
面願ひませう」
へ ぼ
「イヤ拙者は平凡でござるが、然らば一石願ひませう」
「先づ二三目置て御覧なされ」
むつと
二三目……といつたが負嫌ひの大塩平八郎、心中勃然いたし、此奴失敬な奴
だ、其儀ならば一番も勝せるものか、と心中に思ひまして
「然らば二目で願ひませう」
「宜しい」
と元より高慢の竹次郎ではありますが、訳もなく、二三目置けといふのでは
てあはせ てあひ
ありません、只今吉田親子が打たといふ手合を聞たから、二三目か手合であ
わざ
らうと思ひ、態と負たとは知らないで左様申したのであります、其処で竹次
どう
郎は二目では訳もなく勝てると思つてパチリ/\と打て見ますと、何いたし
まして、自分の方が八目も置かなければ及ばん程の手でありますから、二目
置せては及ぶ訳がありません、夫に平八郎が先方に勝せまいと思つて打つの
かう
でありますから、どうにも斯にもなりません、其一番は竹次郎が百目の負で
ありました、流石の竹次郎も呆れて了ひ、今一番といつて打つて見ると、今
度百二十目……、夫から竹次郎が先で打ても百目から負けたから、モウ三度
続けて百目づゝも負ては打てません、其儘降参して打ちません、只だ呆れて
居るばかりであります、此方は娘のおまち、余り座敷が賑やかでありますか
そつ
ら、窃と座敷へ来て此様子を見て居りましたが、自分が思ふ男が三々に勝た
に こ やが
のでありましたから、莞爾/\として見て居りましたが、頓て日が暮れまし
あかり つ
たから、灯火を点け戸を締めなどいたしますから、一同の人々は帰り掛りま
ごはん
す、其処へ夕飯を出して人々に馳走をいたし、飯が終ると又々代る替る打て、
ふ と
負けたり勝たりとして居りましたが、平八郎、不斗便用を足したくなり、其
場を立て辺りを見て居りましたから、おまちが其処へ参りまして
あなた はゞか
「貴郎厠りでございますか」
「ハア」
どうぞ
「何卒此方へ」
かはや
といつて自分が先に立ちまして、態と一番奥の厠へ案内をいたしました
「イヤ、是は憚かりさま、モウ分りました」
ひしやく
といつて平八郎は用を足して出て参りますると、おまちは手洗水を枇杓に汲
んで
「サア貴郎、お手を……」
「是はどうも恐れ入ります」
てふき
と其水で手を洗ひますると、其処へおまちが手拭を出しましたから、平八郎
てぬぐひ ぬ
は其手拭で手を拭ぐひながら、思はずおまちの顔を見ると、叮度おまちも平
そつ
八郎の顔を窃と見やうとしたる途
につこ ゑみ
端、目と目がピタリと出逢ひましたから、おまちが莞爾と笑を含み
「オホゝゝゝ」
むき
といふ声を自分の袖に押へ、脇を向ました、其愛らしきこと謂はん方なく、
げ
実に傾国の美人とは斯る婦人をいふならんと、女嫌ひの大塩平八郎も、思は
ず恍惚として立て居りました、おまちも片手に手燭を持つた儘立て居ります
どう
が、何なりませうか、次席に………
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