Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.2.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その11

松林白猿 講演

安藤粛太郎速記(英雄文庫 9)萩原新陽館 1901

◇禁転載◇

第三席(1)

管理人註
  

                                うはさ 流れる水にも心があれば、落ちる花にも情ありと申しまして、今小町と風評 を立てられた程の美人に思はれましたる大塩平八郎、何ぞ之を愛するの心な からんやで、互ひに目と目、顔と顔、夫とはいはねど、移心伝心、平八郎と     ふたり                       かく おまちの両人は、夫より思ひ思はるゝ身の上と相成りました、斯なりまする                     い つ と穂に露はるゝが恋の道でございまして、何時か杢兵衛夫婦も其様子を悟り                            きか まして、平八郎ならば婿にいたして不足なき者なりと、粋を利した父母の表 向き大塩へ申し入れますると、何がさてモウ互ひに出来て居るのであります                               おもてむき から、平八郎も大に喜こんで承諾に及び、其処で良辰吉日を撰んで公然おま ちを嫁に迎へまして、さて是より夫婦の中も睦ましくいたしまして、おまち は家事を修め、平八郎は勤め向大事として居りますと、元より文武抜群の大 士のことでありますから、其評判は益々宜しく、学問は中井先生よりも進ん で居るといふのでありますから、大坂市中の物持の息子は申すに及ばず、同                    きた じ与力衆の次男三男まで、皆平八郎の家へ来りまして学問の教授を受けるよ うに相成り、是より誰も大塩平八郎といふものなく、川崎の先生/\と申す       たつ 様に世人から尊とばれるやうに相成りましたから、おまちの喜こびは一方な    いよ らず、弥いよ貞操を堅くして良人に仕へて居りました、時に平八郎二十三歳、 其年の三月より師匠の中井積徳先生が病気と相成り、秋の初めに至つて遂に 没しましたから、大塩先生大に悲しんで、厚く門弟の礼を尽しました、夫よ                 こぞ り中井の塾に居りましたる門弟共は挙つて大塩の塾へ参りました、既に三百 人の多きに及びました、其処で平八郎は、与力の様な役をしませんでも、天 晴学問で家繁昌をいたして参るのでありますが、少しく思し召しがあるもの                      か、左様に大勢の門弟があつても与力の役は廃めません、相変らず心を尽し て勤めて居ります、されば当時は朝役所へ出て、職務を果して七ツ頃に帰宅 したしますと、モウ宅には門弟衆が大勢扣へて居りますから、直に教授にかゝ ります、夫ゆゑ一寸の隙もありません、併しながら伯楽なければ千里の駒も    うまや 王侯の厩に入ることが出来ません、大塩平八郎先生、古今に秀でたる処ろの 豪傑なりといふと雖ども、身は与力といふ卑しき家に養子となりたることゆ                        ふる ゑ、中々一足飛びに高い処ろへ出でゝ腕一杯の力を揮うことが出来ませんが、 左様なことには少しも心を痛めませんで、空しく月日を送つて居りますと、 文化は十四年で、改元なつて翌年は文政の元年と相成り、其年もことなく終 つて、明れば文政の二年と相成りました、



















実際には平八郎
は妻を持たず
  


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