大塩先生は多年の思ひを爰に達しましたから、大に喜こびまして其処を立出
なかば
で、大溝から舟に乗て出帆いたしましたが、丁度六月の中旬でありますから、
う み
舟に乗ると海上へ遥かに出でまして、涼みを入れながら八方の景色を眺めな
がら順風に舟を走らせました、其時天気は晴朗として一点の雲なく、天も水
つら やが い
も一様に連なつて見へ、頓ては此舟天上するならんと思はれ、最とも愉快に
ひとかたまり
七八里といふものは何の苦もなく走りました、然るにアラ恐ろしや、一朶の
さつ
雲が現はれたかと思ふ間に、見る/\内に一天俄かに掻曇り、風さへ颯と吹
き起り、今まで青畳の上を行くが如き湖水の浪が、遥かにゴー/\と山の如
はやて
く凄まじくなつて参りましたから、船子共は大に驚ろき、夫れ颯風が来たぞ、
いたゞ たちま
用心をしろといふ間に、船は万丈の山の嶺きに上られるかと思へば ち千尋
だま
の水底に落され、矢を射る如く進むかと見れば鉄砲丸の如く戻され、風はま
す/\激しく浪はいま/\高く、ゴウ/\ドヾ−んと船に当りまするから、
船頭共が如何に一生懸命に働らくと雖ども船は少しも自由になりません、人々
がんしよく
驚ろき恐れて顔色は真青になりました、大塩先生は此時船の真中に端坐して、
両眼を閉ぢ、少しも恐るゝ気色なく
「ヤア人々決して心配するな、何事も天命なるぞ、今日、此船に乗て此船若
し顛覆いたしなば、皆夫まで寿命を以て生れたるなれば、助からんとしても
ぐふう
助からず、又我々に命さへあるものなれば、如何に怒濤天を衝き颶風浪を巻
くも決して死すことあるべかざれば、決して心配すること勿れ、宜しく我が
為す如くして気を落付て然るべし」
い
と大音に呼はりながら最と平然として扣へて居ります、両人の門弟共は只今
あつ
の先生の言葉を平生講堂に在て聞くのであらば、成程とも思ひませうが、此
場合では只だ驚ろくのみであります、船頭も最早迚も助かるまじと思ひまし
たか
「オイ旦那方、お前さん方も此舟に乗つたが不運と諦らめさつしやれ、モウ
迚も船の自由は利ませんから、爰で成仏するより仕方がねい、念仏唱へなせ
い/\」
ふたり
といふから両人の門弟は尚更ら恐れ
「エヽ情けないことになつた」
と思つて居りました、然る処ろ段々と風も静かになつて参り、浪も小さくな
いき
つて参りましたから、茲に始めて一同は活たる心地がいたしまして、船子も
勢ほひが出てると暫らくすると全たく風は止みました、其処で船は日の暮れ
んとする時漸々坂本に着きましたから、大塩先生は始めて両眼をお開きにな
やど
りまして、船より上り、二人の門弟をお連れになつて、坂本の藤屋といふ旅
や と
宿へ宿まりました、此処には名代の明智左馬介の旧跡がありますが、最早日
も暮れ船の疲れがありますから、お湯を浴び飯を喫して其夜は床に就きまし
て、さて明くれば六月の十七日、天気晴れ渡りまして、朝より炎暑甚はだし
やが
くございますが、厭はず大塩先生は比叡山を志ざして進んで参り、頓て山の
みおろ すぐ
半腹から下を瞰下しますと、昨日難船に逢た辺りは直目の下に見へます、ど
うも近江国には一体名所が多うございます、第一には日本第一の琵琶湖があ
り、其廻りには近江八景があります、近江八景のことは諸君が好く存知でご
よ も
ざいますから申し上げません、大塩先生、比叡山に登りまして、四方の景色
を眺め、充分に愉快を尽して大坂へお帰りになり、子弟の教育に心を専ぱら
にいたして居りまして、さて天保の三年四年五年とお話しもなく相経ちまし
たが、此頃は何となく六十余州の時候隠やかならず、五穀の実りが殊の外に
なかんづく
ございません、就中関東は最とも甚はだしいのであります、夫故に老中水野
越前守忠邦が大に御心配をなすつて諸国に節倹の令を布きましたが、其位ゐ
あが
では中々追付きません、米価は増々騰り、百文に付五合位ゐに相成りました、
た か
丁度只今の十銭に五合位ゐの割よりまだ高直いのでありますから、諸国の貧
たべ
乏人などは迚も米の這入た飯を喰ることは出来ません、然るに夫より続いて
六年七年八年と相成り、ます/\飢饉は甚だしく相成りました、之を大塩先
生が傍観するに忍びず、時の奉行跡部山城守へ上申して之を救はんといたし
ましたのを、与力の隠居位ゐの身分で入らざる世話を焼くといふ処ろより、
ぼうまん
大塩先生の上申を入れません、之に依て大塩先生、奉行曝慢無心経なるを怒
つて、同志と共に奉行城代を殺して、大坂近郷の貧民を救はんとする大事を
ひきお
惹起すのお話しは追々と弁じましやう
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