Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.3.9

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その26

松林白猿 講演

安藤粛太郎速記(英雄文庫 9)萩原新陽館 1901

◇禁転載◇

第六席(2)

管理人註
  

其跡へは水野越前守様の舎弟で跡部山城守といふ人物で、当時兄が幕府の政 権を握り居りますから、夫を威光に高慢をいたし、我か越へたる人はあるま じと誇る程の小人でありますから、遂に大塩先生と衝突して、大坂市中へ火        ふら                  だう の子、血の雨を降すやうな訳に相成つたのでございます、何して大塩先生が 好んで反逆に均しき挙動をいたしませうや、大坂は申すに及ばず、近国近郷                            ほふ の人民の為めに身を犠牲に供して、暴慢無情なる城代奉行を奢らんとして天 誅救民の旗を揚げたのであります、夫は後のお咄しで水野越前守の舎弟跡部 山城守に於ては、兄の威光を以て大坂の東町奉行と相成り、大坂へ着きます と早速前奉行たる矢部駿河守殿の宅へ参られまして、跡役引継の為め万事の 都合を聞んといたしました「さて矢部氏、拙者不才なりと雖ども、今日より 大坂東町奉行を命ぜられまして、貴殿の跡役を継んとするのでござるが、一 体大坂と申す処ろは如何なる方法を以て治めるが宜しうござりませうや、万 事抜目なき貴殿なれば、今までの御方針、定めて大坂人民を喜こばしめたの            それ           たい でございませう、不才の某がしへ何卒御伝授下され度」 「是は/\跡部氏の御熱心なるお志ざし、駿河感服仕まつる、大坂の人民、    むづ 別して難かしきことはござらんが、与力の隠居にして陽明派の学者で大塩後 素といふ者がござるが、此人物、中々の豪傑なれば、只だ此人物に万事相談 して施政の方針を定め参つたのでござる、此人物は非常の癇癪強き者ゆゑ、      さか 此者の気に逆らはぬやう好く使ひなさるが専一かと矢部は存じまする、此外 に別に是といふことはござらん、万事は貴殿の御胸中にござらう」 と申しました、其時は夫なりで別れ、矢部殿は江戸表へ下りまして、跡へ山 城が直りました、元より剛慢なる小人、矢部の如き英雄の心中は悟れません、 何だ馬鹿/\しい、矢部は天下の人物と聞て居たればこそ施政の方針を聞た るに、案に相違の彼が考へ、高の知れたる与力の隠居などに左様の重きを置 て、万事相談するとは何事なり、謂はば奉行の方針は大塩の意見だ、個様な ことをいたして市中の処士などを重くしては幕府の命を受けて参つたる奉行 の権力に落るといふもの、奉行の権力の落ちるは所謂幕府の権力の薄き所以 である、されば奉行の権力を揚げるには、宜しく大塩の如き奴を圧して、少         くちばし しも奉行の政治に啄を入れしめない様にせんければ相成らん、と跡部山城守 が大塩を圧して自分の権力を以て大坂を治めて見せんと思ひました、されば 如何なる好いことでも、大塩の申し出したことあれば一議に及ばず、之を退 ぞけやうと思つて居りますから、前奉行へ願つてありましたる大坂市中の貧 民共へお救ひ米を下されんことなどは知らん振で、其儘に相成り居りまする、














川崎紫山
「矢部駿州」
その9


『大塩平八郎』目次/その25/その27
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ