Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.3.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その28

松林白猿 講演

安藤粛太郎速記(英雄文庫 9)萩原新陽館 1901

◇禁転載◇

第六席(4)

管理人註
  

「ハイ、個様/\」 と奉行のいつた通りをいふと                             しゆつたい 「左様か、然らば左様に愚図々々して居る内に如何なる珍事の出来するやも                        しい     おと 知れん、一揆の様なものを起しては、罪なき人民を強て罪に陥すやうなもの で不憫である、依て拙者が一つ、お蔵米も出さずして貧民を救ふといふ良策 を奉行に申し上やうから、其方取次で呉れ」              した といつて夫より直に一書をお認ために相成りました、其趣意と申しますは、 此大坂といふ処ろは天下商業の中心であるますから、金満家や物持の家が誠 とに多うございます、固様なる金満家物持は平生巨万の利得を得て、蔵には 何万の米穀を有し、何万の財宝を持つて居りますから、個様な場合に臨んで 相当の義捐を為さしめたりと雖へども、決して困難をするといふことはあり ません、されば夫等の人々をして義捐をして貧民を救はせるやう、奉行より 仰せ付られなば、大坂市中の富限の人々は喜んで其仰せに従がはん、然る時 は立どころに貧民の救助を充分にいたすことが出来るといふのであります、 此一書を明朝に格之助殿が奉行跡部山城守の前へ出て、差出しました、山城 守は平八郎が執心深く、又何を書き認ためて参つたかと読で御覧なさると、 只今申し上たやうな趣意でありますから、心中には、フム、与力の隠居たる                奴が今までの奉行が愛したるに褻れて、我も意気地なき者と思ひ、無礼にも                              こら   やら 奉行の職権を口に入れやうとする不埒な奴は、個様な奴は宜しく懲して遣ん ければ、飽まで増長すると思ひましたから、ツイと其書面を格之助の前へ投 返しまして 「コリヤ、格之助、好く聞けよ、貴様の父は余程の愚物だぞ、此書面に認た めてあること位ゐは誰でも存じで居るわ、夫を学者振て高慢顔に個様なこと 書いて奉行へ差出すとは何事じや、夫に皆奉行の胸中に在ることで、与力の                       さが 隠居などが知る処ろでないわ、早く此書状を持て下れ」 といはれまして、格之助殿も大塩先生が見込だ養子でございますから、奉行 の暴慢を大に怒りまして 「夫では何あつても大坂市中の貧民をお救ひなさることは出来ませんか」                        あずか 「救ふも救はぬも拙者の胸中にあるわ、其方などの与ることでない早々下れ /\」 といはれて止むを得ず格之助殿も其処を下りまして早速家に帰り、父に其こ とを申しましたから、元より疳癖の強い処ろの大塩先生、言葉を聞て大に怒          たち   まなこ                しばし こぶし り、ムヽといつたか忽まち眼裂け、ハツタと奉行所の方を睨んで霎時挙を握 つて居りました、与力の隠居位ゐの知る処ろではないと好く申したな、奉行 は人間で大塩は人間でないといふことはないぞ、然らば大塩が一手の力を以 て貧民を救ふて見せる」 といひながら忽まち袴をつけ羽織を着て家を立ち出でましたが、是より志ざ すは大坂第一の金満家たる鴻池善右衛門でございますから、宜しく善右衛門 を説て、富豪者より相当の義捐を為さしめんといたしましたが、計らざりき 奉行の妨げる処ろと相成りまするといふ、奉行と大塩と衝突のお話し




石崎東国
『大塩平八郎伝』 
その92
 


『大塩平八郎』目次/その27/その29
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