さて段々と伺がひましたる大塩平八郎先生のお話しでありますが、此大塩先
生は実に天晴れなる御方で、学問といへば陽明学の泰斗と仰がれ、武術は一
刀流の達人にして、義は飽までも強く、与力の隠居たりと雖ども、而も堂々
たる東町奉行の跡部山城守を相手に取て義民の大義を揚げるのでありますか
こと
ら、尋常の義侠談などゝは大に違なつて居ります、誠とに大義の人といつて
も其当を得ないといふことはありません、大塩先生は再三奉行跡部へ救民の
ことを願ひましたが、豪慢無礼にして人を人とも思はず、無闇に役人風を吹
かして人民を圧制しやうと思ふ人物でありますから、当時大塩先生が大坂市
中に於きまして此上もない尊敬を受け、三千有余の門弟が教導いたして居り
そ
ますから、「如何にもして大塩の勢ほひを減ぎ呉ん」といふ恐ろしい了簡ゆ
ゑ、人民の為め宜しかれと願ふのを聞届けなば、尚ほ此上に大塩の勢ほひが
盛んに相成るに依て、何と願つても救民のことを許しません、却つて大に罵
しり、与力の隠居などで奉行の職権に嘴を容れるは不届なりなどゝいつて、
其願書を投返すなどは、実に暴虐の至りであります、されば疳癖の強き大塩
先生のことゆゑ、左様の儀なれば我も男子なり、一旦口外いたしたることに、
如何なることなりとも徹さずに置くべきかと自ら羽織袴を着けたることにて、
家を出て、鴻池善右衛門といつて大坂第一の金満家の許へ参りまして、玄関
へ立て
「頼む/\」
と案内をいたしますと、其処へ取次の者が出でゝ
「是はお出でなさいました、何れより……」
め
「アヽ、拙者は天満川崎の大塩中斎であるが、御主人御在宅ならば少々お面
に掛りたい」
どう
「ハイ、左様でござりますか、何ぞお待ち下さいませ」
といつて取次の者が奥へ入り、主人善右衛門の前へ出でまして
「エヽ、只今大塩先生がお見へに相成りまして、何か旦那様へ少々御面談い
たし度と仰しやつて居りますが、如何いたしませう」
といはれて、大塩といへば誰知らぬ者なき大坂随一の先生でありますから、
おつ
「夫は/\丁度幸はひである、只今他出しやうといたして居た処ろであるが、
丁寧に客間へお通し申せ」
其処で取次が玄関へ出でまして
「どうぞ処方へ」
と客間へ案内いたされました、然るに間もなく善右衛門、夫へ出でまして、
時候の挨拶終ると、大塩先生には
「好くこそ御出で下されました、何か善右衛門へ対して御用でもござります
るか」
「イヤ、善右衛門殿、御在宅にて中斎、何より重畳に存ずる、時に今日拙者
わざ/\
態々参上いたしたるは、余の儀にあらず、」
「ハイ」
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