Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.3.17

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その33

松林白猿 講演

安藤粛太郎速記(英雄文庫 9)萩原新陽館 1901

◇禁転載◇

第八席(1)

管理人註
  

此方は大塩先生に於きましては、鴻池善右衛門が喜こんで承知をいたしまし たから、今に好い返事が来るか、今にも金が山の如く積んで来るかと相待て 居りましたが、遂に其日は何の音沙汰もございません、其処で平八郎先生短    た ち                             よん 気の性質でありますから、其夜鴻池へ使ひを遣はして見ると、善右衛門は拠                           どころなき要事の為め不在だといふのであります、其処で大に怒つたる先生、     あれ 「然れば那ほど堅く約束をいたして置きながら、金を出すのが嫌になりて留 守を使ふに相違ない、不埒なる町人の奴共かな」 と思つて居りました、さて、翌日に相成りますと、鴻池から使ひが参りまし て、一書を置て先生に宜しくといつて帰りました、玄関の取次が其書面を先 生の処ろへ持つて参りましたから、執る手遅しと開いて見ると、義捐の儀は 色々の事情有之、急の運びには参り難くといふ書面で、千両や二千両の処ろ なれば、拙者にて差上申し候間、貴意を伺がひ度候との文意であります、是 を見ると大塩先生、烈火の如くに憤どほり、好しあり余る財さんを持ちなが ら、斯る非常の時に臨んで施こすことを知らざる貪慾共、其儀であらば今に 思ひ知らして呉んと、常に先生に心服いたして居りまする処ろの門人与力、 其他の人々を集めました、先づ第一に駈付けたるは瀬田済之助、小泉淵次郎、 大井正一、竹上儀左衛門、渡辺清左衛門、塩尻喜左衛門、吉見九郎左衛門、 平山助次郎、庄司喜左衛門等を始めといたし、有志の面々二百五十余人、講 堂へヅラリと列座に及びました、大塩先生正面の上座に席を搆へ、一同に向 つて申しまする様    おの/\ 「さて各々、今回鴻池始めとして三井、岩城の町人共、一旦義捐のことを承 知いたしながら、今に及んで断はりの書状を寄越すとは失敬至極、斯る無慈 悲の物持町人共を其儘にいたし、夫のみならず暴慢無礼なる城代始め奉行の 奴輩を此儘に捨て置きなば、今に一揆の起ること必定なり、然る時は細民は 一は飢に妻子の泣くを見、一は反逆の罪に処せられなば、此上の難儀あるべ からず、志士仁人は身を殺して以て仁をなすと申す、されば我々同士の者、                                 ほふつ 団結一致して暴慢無礼なる奉行城代を倒し、無慈悲なる物持町人の家を屠て      貧民の一掻を起さしめず、夫等の者をして我々の屠つたる物持の蔵より米穀                 いかゞ を出さしめなんと思ふが、各々方は如何に思し召さるゝや、一応御意見を承 たまはりたい」 と申し出しますと、此場合に望んで誰か一人先生の心に背くものあらんや、 皆一同然るべしと申しました、是に依て一同連判状を作り 「斯く一同の賛成を得たるは拙者の喜こび此上もござらん、然らば四月十日 は建国寺に於ては東照宮の祭日なれば、城代を始めといたし東西の町奉行等                           みなごろ 皆参詣いたすに依て、其時に不意に起つて彼等暴慢の輩を鏖殺しにいたし、 大坂人士の気性を見せ付け呉ん」 といひ出せば、一同も夫れ宜しかるべしと、茲に其義に一決いたし、時の来 るを相待つて居りました、




石崎東国
『大塩平八郎伝』 
その92


『大塩平八郎』目次/その32/その34
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