Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.3.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その34

松林白猿 講演

安藤粛太郎速記(英雄文庫 9)萩原新陽館 1901

◇禁転載◇

第八席(2)

管理人註
  

然るに人の心の定めなきは世の常でございます、赤穂義士も初めは百人余り も団結いたしたのでありますが、詰りは四十七人と減じまして、其他は皆志 ざしを中途に変じたるものであります、三代相恩の主君の仇を討んとするで                          さへ左様に変心するものがある位ゐでありますから、況して一時の義心に因 り団結なしたる人々でありますから、変心の者あるは止むを得ざることでご ざります、好事魔多しと申しまして一同の人々は四月十日の来るを相待つて 居りました、大塩先生は元より貧民の為めに身を殺すの覚悟でありますから、               かみ 財産の如きは何かせん、空しく上へ没収されて了うよりは、之を売り払つて                                しよじやく 幾らなりとも貧民の救助にするが宜しからんと思ひ、其処で大切なる書籍を 残皆売払て二万両の金を得ました、どうも大したもので書籍の代価が二万両、 只今の二十万円であります、さて二万両の金子は悉ごとく貧民に施こさんと 諸所へ建札をいたしますと、忽まち大塩先生の門前へ一万余人の人が集まり ました、其人々へ一人一両づゝ与へて之を救ひましたから、貧民共は大塩先 生を神や仏よりもあり難がりました、時は天保の八年二月の二日のことであ りました、然るに此処に最とも憎むべきは平山助次郎に吉見九郎右衛門の両                      した 人であります。己等第一番に大塩先生の意見に際がひながら、段々と四月十 日が近づくに随がひ、自分等の命の縮むを今更ら嫌になり急に変心して、二                ひそ 月十八日の夜、深更に及んで両人窃かに奉行の宅を訪づれました、両人は一 大事のことに依て奉行へ急にお訴たへ申すと申し入れましたから、深更とは 申しながら、一大事とは捨置き難しと早速奉行が面会をいたしました 「ウム、吉見、平山の両人一大事とは何事である、早く申せ」 「ヘイ、誠とに恐れ入りましたることにて、私共内々団結いたして、御城代                        みなごろ 始め奉行様を、四月十日東照宮の祭日を期しまして鏖殺しにいたさんと企だ てましてござります」 と聞て跡部山城守、大に驚ろき 「ナ、何と申す、我々を鏖殺にせんとか」 「ハイ誠とに恐れ入りましたが、誠とは斯様/\」 と、大塩先生の意見に出でたることを委しく物語り 「右様の趣意にござりまする間、先づ私共両人の首をお刎ね下さい」                        ゆる 「ウム、左様か、其方等の罪は密告いたしたに依て免し取らする」 「ハツ、然らば我々両命はお助け下さるとか」  いかに 「如何も」 「有り難き仕合にござります、サテ今晩宿直の瀬田済之助、小泉淵次郎の両 人も其同類でございます」 「そうか、然らば早速両人を殺して明朝大塩を召捕ん、其方等内々に宿直の 人々に告知らせ、瀬田、小泉の両人を召捕の用意をいたせ」    かし 「委細畏こまりました」 と返信の曲者、先づ人々を内々で起し、奉行の命を伝へました、



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その103


























石崎東国
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その110


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