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然るに人の心の定めなきは世の常でございます、赤穂義士も初めは百人余り
も団結いたしたのでありますが、詰りは四十七人と減じまして、其他は皆志
ざしを中途に変じたるものであります、三代相恩の主君の仇を討んとするで
ま
さへ左様に変心するものがある位ゐでありますから、況して一時の義心に因
り団結なしたる人々でありますから、変心の者あるは止むを得ざることでご
ざります、好事魔多しと申しまして一同の人々は四月十日の来るを相待つて
居りました、大塩先生は元より貧民の為めに身を殺すの覚悟でありますから、
かみ
財産の如きは何かせん、空しく上へ没収されて了うよりは、之を売り払つて
しよじやく
幾らなりとも貧民の救助にするが宜しからんと思ひ、其処で大切なる書籍を
残皆売払て二万両の金を得ました、どうも大したもので書籍の代価が二万両、
只今の二十万円であります、さて二万両の金子は悉ごとく貧民に施こさんと
諸所へ建札をいたしますと、忽まち大塩先生の門前へ一万余人の人が集まり
ました、其人々へ一人一両づゝ与へて之を救ひましたから、貧民共は大塩先
生を神や仏よりもあり難がりました、時は天保の八年二月の二日のことであ
りました、然るに此処に最とも憎むべきは平山助次郎に吉見九郎右衛門の両
した
人であります。己等第一番に大塩先生の意見に際がひながら、段々と四月十
日が近づくに随がひ、自分等の命の縮むを今更ら嫌になり急に変心して、二
ひそ
月十八日の夜、深更に及んで両人窃かに奉行の宅を訪づれました、両人は一
大事のことに依て奉行へ急にお訴たへ申すと申し入れましたから、深更とは
申しながら、一大事とは捨置き難しと早速奉行が面会をいたしました
「ウム、吉見、平山の両人一大事とは何事である、早く申せ」
「ヘイ、誠とに恐れ入りましたることにて、私共内々団結いたして、御城代
みなごろ
始め奉行様を、四月十日東照宮の祭日を期しまして鏖殺しにいたさんと企だ
てましてござります」
と聞て跡部山城守、大に驚ろき
「ナ、何と申す、我々を鏖殺にせんとか」
「ハイ誠とに恐れ入りましたが、誠とは斯様/\」
と、大塩先生の意見に出でたることを委しく物語り
「右様の趣意にござりまする間、先づ私共両人の首をお刎ね下さい」
ゆる
「ウム、左様か、其方等の罪は密告いたしたに依て免し取らする」
「ハツ、然らば我々両命はお助け下さるとか」
いかに
「如何も」
「有り難き仕合にござります、サテ今晩宿直の瀬田済之助、小泉淵次郎の両
人も其同類でございます」
「そうか、然らば早速両人を殺して明朝大塩を召捕ん、其方等内々に宿直の
人々に告知らせ、瀬田、小泉の両人を召捕の用意をいたせ」
かし
「委細畏こまりました」
と返信の曲者、先づ人々を内々で起し、奉行の命を伝へました、
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その103
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その110
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