こいつ
其新左衛門の手下に勘次、作造といふ二人かあります、此奴は多くの悪物の
中でも腕利の方で、最とも新左衛門の信用を得て居ります、其両人が今此天
神の社内に参りましたが、おまちが下女一人を連れて今頻りに天神様を祈つ
てゐるのを見て
「エゝオイ勘の字」
「何だ作州」
あれ
「何がじやねえ那を見ねい」
「成程是は豪気だ、那は何じやねいか、吉田のおまち子じやねいか」
「さうよ今小町だ」
「好いな」
「好いなア、夫はさうと何だ」
あ れ かしら
「那女は不断頭が非常に思つて居る別嬪だぜ、忠義立をするのは斯ういふ時
あ れ さら うち
だ、何だエ見れば辺りに人も、ねい、那女を攫つて頭の家へ担ぎ込もうじや
さう あいつ
ねいか、然すりや褒美は望み次第で、今夜は又彼女の処ろへ往けるぜ」
「ダガ向うが与力の娘だからな」
こつち
「ナニ搆うもんか与力だらうが五力だらうが、此方も上辺は与力の手先だが、
そんな
本業といへば強盗押借追剥じやねへか、其様義理や人情に拘はつて何が出来
さう
るもんか、サアやツつけやう、夫は然と見ろやい美くしい女だな」
ぐづ/゛\
「夫りや美くしいや極つてら、今小町といふ評判の娘だもの、愚図して居る
いけ
内に邪魔物が出ると叶ねい、手前猿轡の用意をしろ」
「オツと合点だ」
と悪逆無道の二人の曲者、余念もなく心を込めて祈つて居るおまちの後ろへ
勘次の野郎が廻り、物をもいはず手拭をおまちの口の辺りへグイと掛けまし
びつくり
たから、おまちは不意に喫驚なし、アレーツと一声悲鳴を掲げましたが、元
より大の男に捉まりたのでありますから動くことが出来ません、ジタバタす
とう/\ さ る は たて
れども詮方なく遂々猿轡を裏められ、声を立ることもならず口惜し涙を流し
も が
て悶掻くのみ、下女のお初も同じく作造の野郎に縛られました、同じく猿轡
を裏められ泣くことも動くことも出来ません、
かう どう いか
「オイ斯したは宜いが何して持て往う」
かぶ しよつ
「どうしてつて、手前女の羽織を取て頭から被せ、病人を背負て行くやうに
見せ掛けるのが一番だ」
おれ
「成程己のは下女で羽織がねいや」
かぶ
「そんなら手前の持てる風呂敷を被せろ」
い あにき
「ウム宜い処ろへ気が附た、流石は兄だけあつて抜目がねい」
わるもの ふたり
と両人の悪漢、商売とはいひながら、難なく両女縛つて頭から羽織と風呂敷
を被せ、さあらぬ体で裏門から出でました、おまちは此情けなき身の上とな
しよは ゆきゝ
つて、グイと勘次の為めに羽織を被せて背負れ、往来の人に助けを頼むもな
も が
らず此上如何なることかと、身もよもあらず悶掻きましたが、何と詮すべな
な
くことさへ叶はず、鷲に取られし雀の如く、其為す儘に背負れ往きまする、
「エゝ此病人は苦しいと見へて、頻りに動いて仕方がねい、今少しの辛抱じ
や堪へなされ/\」
と口でいひながら、既に裏門から出やうとすると、向うから来たのが、先年
三等与力になつた大塩平八郎でございます、アゝ悪い奴に逢たなと思つて、
素知らん振で廻り過ぎやうとすると、眼光鏡の如き大塩平八郎、屹度両人の
様子を見て小首を傾むけて居りましたが
「ヤツ曲者待てツ」
と呼び止めました
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