Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その10

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (10)

管理人註
  

    この言葉のうちに、養子格之助、役所より帰り来り、下手閾の外     に坐る。二十六歳、色黒く眉濃く、上の向歯二枚欠けてゐる。謹     格よりは迂直に近き男。悄然として畳に手を突きゐる。                      い つ 平八郎 (気が付き、立ち止つて)格之助、何時帰つた。 格之助 たゞ今――。 平八郎 (その姿を見て、不快さうに)もう好い、分つてゐる。跡部に退    けられて帰つて来たな。 格之助 跡部さまはお父上が前任奉行高井公に重く用ゐられたことが、深    く御気に触つてゐると見えます。高井には高井の見識があらう、俺    は俺だ、繰り返してそればかり仰せられます。 平八郎 大塩は彼に憎まるゝを厭ふ者ではない。唯、おれの建言した経済    策を、正しく彼の胸臆に徹底させたか、それを聞くのだ。順序を誤    らず、教へた通りに、彼の面前で詳かに話すことが出来たか。聞い    て何んと云つた、跡部は何んと云つた。 格之助 はい。(俯向く)                 かゝは 平八郎 用ゐると用ゐない、それに拘らない。跡部はわしの意見を、現在    救済の論策として、認めたか認めないか、それを聞くのだ。 格之助 はい。 平八郎 最後まで話を進めたな、中途で座を立たせるやうな不熱心はなか    つたな。最後の秘訣、かの仕法書も出して彼の前に示したな。格之    助、何を俯向く。お前もこの際は、天下の大事に任じてゐるのだ。    跡部は何んと云つた。 格之助 それを申し上ぐれば、御立腹になるばかりでございます。 平八郎 跡部の感情を問ふのではない。論策に対する彼の批評を求めるの                      たとへ    だ。静かに論理をつくして説明すれば、仮令おれの人物を憎んでも、      くわつぜん    きようかく    彼は豁然として胸膈をひらくに相違ないのだ。 格之助 皆、わたくしの不能の致すところでございます。 平八郎 跡部に会つて、先づ何んと云つた。順序にそこで云つて見ろ。お    前が熱誠を吐露して、おれが教へた通り進言すれば、いかに頑迷の    跡部とて耳を傾けずにゐられない筈だ。おれは跡部が、お前の話に    引き入れられて、次第に膝を乗り出して来る、その順序段落までも    一々こまかに目に描いて、終夜睡らずに案じ出した建言なのだ。云    つて見よ、先づどう云つた。 格之助 わたくしは大略……お父上の御趣意をつくしたつもりでございま    すが……、御奉行はお父上に対する僻見が先入の主となつて、心を    開いてお聞きなさる模様がごぎいません。 平八郎 趣意をつくしたつもり――? 誰がお前にその掛引きを頼んだ。        で く    お前は木偶になつて、中斎の言語を取次げばいゝのだ。雇はれ根性!    貴様には熱誠がない。                      さつと        かみ 格之助 (涙ぐみて)高が二百石、与力隠居の察当は受けない。お上には    さん/゛\御不興の態にて、御座を蹴立てゝお立ちになりました。    わたくしの……無力のためでございます。 平八郎 与力隠居の察当、察当と云つたか。(嚇ツとして養子を睨み)格    之助、何故その時奉行の袴に縋つて引き止めない。何故その暴言を    ゆるして帰つた。 格之助 は――。                             がへう 平八郎 察当とは何んだ。察当とは何んだ。いま天下凶荒して餓みちに    横たはるの時、民の疾苦を憂ふるの声が与力隠居の察当と云ふのか。    格之助、なぜ暴言をゆるして帰つた。なぜ敢然立つて争はない。君    父のためにはその侮りを禦ぐ、これ忠孝の第一要義ではないか。腑    抜け者! 格之助 …………。 平八郎 おのれが腹に飽けば、民の饑ゑたるを知らず。(大息して座につ    く)一揆だ、一揆だ。今に必ず暴民が起つぞ。    忠兵衛、突と立ち上りて、勝手の方へ行く。 平八郎 橋本、何処へ行く。     おうちかた 忠兵衛 御内方さまにお目にかゝります。娘にも会ひます。 平八郎 橋本。    忠兵衛、聞えぬさまにて格之助に目くばせして去る。    平八郎、唇を噛んで鋭くその後ろ姿を見送る。この以前より門弟等、    互ひに小声にて囁くことあり。

察当
非難、とがめ




















































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