Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その11

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (11)

管理人註
  

瀬 田 先生、この際は一段沈潜して形勢を御覧になるが宜しいかと存じ    ます。跡部さまは壮年客気にまかせて、御自分の施設に功をほこる            なんびと    心がございます。何人の言葉にも耳を傾けはいたしますまい。 平八郎 うむ……。(眼前の一点を凝視して、沈思) 渡 辺 (平八郎の揮毫を讃み)人随無事明時。柔脆心腸如女児    ――。全くこの通りでございます。今の政治家は政治のための政治    で、人民のための政治とは思はれません。 瀬 田 (微笑)却衝秋熱山嶮。誰識独醒慎独知――。先生、やは    りこのお心よりほかに仕方がございますまい。 庄 司 (格之助に)若先生、早朝よりの御当番でお疲れでどざいませう。    御休息なされては如何でございます。高上から手前名目で買ひ求め    ました火薬について、お話もあります。お立ちなさい。御相談いた    したうござります。    庄司、傍に立ちて格之助を促す。格之助、平八郎に一礼して憤然と    して立ち去る。                      あつま 平八郎 (独語のごとく)雲烟は己を得ざるに聚り、風雨は己を得ざるに    洩る。瀬田、おれは恐ろしい時代に際会してゐると思ふぞ。 瀬 田 はい。                                めいちよう 平八郎 おれは好んで過激な言葉を弄するのではない。過去の歴史に明徴             けんかく    がある。世に貧富の懸隔はなはだしき時、その国は必ず乱る。目前    の事情がそれではないか。この眠れる庶民の怒り立つ時、その怒り            おそろ    は虎狼の群よりも懼しいと思ふ。(呻吟するやうに)高が二百石、    与力隠居の察当――。鳴呼、跡部にはおれの言葉が、察当と聞える    かなア……。    一同、顔を見合はせて無言。    塾生河合八十次郎、慌しく走り来る。 八 十 大先生、長崎から宇津木塾頭がお帰りになりました。 平八郎 矩之允が帰つた。何処に、何処にゐる。 八 十 お玄関に、いま草鞋を脱いでゐられます。 平八郎 然うか、宇津木が帰つたか。然うか、然うか。    平八郎、欣然として落着きなく、玄関の方へ走り行く。渡辺、吉見、    八十次郎などその後につゞく。    庄司、勝手より出で来り、同じく玄関に行かんとする。 瀬 田 儀左衛門、(庄司を呼び止め)やはり君の心配する通りであつた。    埒もないことになつた。 庄 司 少しく気をゆるやかに持たれませぬか、御気性とは申しながら、    はた      いた    傍で見るのもお傷はしう思ひます。 瀬 田 小泉、こりや平山にも相談せざなるまい。 庄 司 平山もうす/\は、聞いて知つて居りませう。 瀬 田 それにどうも……酒も過ぎるやうだ。顔色が悪い。 庄 司 御病気が再発しませぬか、心配でござります。 瀬 田 それよ、なア――。(腕組みして、嘆息)    平八郎、宇津木の門弟岡田良之進を連れて入り来る。良之進、十五    歳、柔和さうに色白く、内気らしき少年。旅行姿にて脚絆など着け    たり。 平八郎 (岡田の頭など撫でつゝ)瀬田、小泉。これが矩之允の弟子なさ    うだ。長崎から随行して来たのだ。十五歳と云ふが、年齢には大き    いではないか。はゝはゝゝ。好く来た、好く来た。どうだ大坂は賑    はしからう。今に案内して見物だ。はゝはゝゝ。    平八郎、良之進を傍に坐らせ、ひとり悦ぶ。    宇津木矩之允、諸生に取り巻かれて快濶に談笑しつゝ入り来る。    年齢二十八歳。顔面ゆたかにして温厚さうなる青年。絶えず微笑を    貯ふ。質素なる着衣、旅装。 宇津木 (平八郎の前に跪坐して)先生、只今帰塾いたしました。お蔭を    もつて、諸方ゆる/\と遊歴して参りました。 平八郎 (思はず指差す)肥つたなア――はゝはゝゝ。少しは飲めるか。                             のんき 宇津木 その方は……相変らず可けません。たゞ田舎廻りでいくらか暢気    の修業をいたしました。 平八郎 どうだ。少しは恐ろしいやつに会つて見たか。 宇津木 いゝえ。一向――。(微笑)やはり恐ろLい咆哮の声は、大坂の方    から聞えました。 平八郎 駄目だ。はゝはゝゝ、駄目々々。(快然と大笑Lて、手を振りつゝ)    その虎は檻のなかに繋がれた。山林野生の猛獣ではなくなつた。駄    目だ、駄目だ。 宇津木 然し九州諸国にも…… 平八郎 駄目だ、駄目だ。虎は檻につながれた。はゝはゝゝ――はゝはゝゝ。    平八郎、突如としてまた継穂なく哄笑する。                       ――(幕)――




客気
ものにはやる
心、血気
 


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