時 天保八年正月六七日ごろ。前幕より二十日ほど後。
処 洗心洞、新塾舎。
新塾舎は平八郎が近年寄宿生のために、東隣の家屋を購ひて設けたる
書生寮にて、いま宇津木等四五名の居るところ。大塩屋敷うちの旧塾
し
舎に対して爾か呼ぶなり。庭つゞきに両塾相往来す。舞台中央に、三
うつぜん
囲に余る程の老松一幹、蔚然と聳立し、その枝、傘の如く新塾舎の屋
根を掩ふ。下手に見ゆるは、瓦葺平屋の塾舎の一部にて、普通民家を
修繕せるものなり。縁側あり。沓ぬぎ石、手水鉢など見ゆ。柱に塾長
屋の木札を掲げ、障子のうちは宇津木の居室なり。縁側に講義室用の
机数脚を積み重ね、壁に手拭歯磨袋など掛けてあり。
松樹を境にして、その上手は平八郎の後園よりその居宅にづゞく。今
はしらだて
その周囲を取り廻して、高さ六七尺の葦垣を造らんとして、柱建を終
り横竹を渡して、一部分には葦をつけたる所もあり。中央に潜り木戸
を設けて新塾との通路をなす。この葦垣は近来格之助等が炮術稽古に
熱心するため、炮器火薬の製法を秘密にして、人目を避けんとして急
に門弟等に急造せしむるものなれば、構造など極めて麁略なるべし。
葦垣と塾舎の後面を通りて、正面奥の門に通ずる一路あり。
冬の空うらゝかに晴れたる日の午後。遠く正月らしき紙鳶の唸り、囃
し太鼓の音聞え、時々は隣地東照宮の鈴の音もさやかに聞える。
塾生河合八十次郎、宇津木の弟子岡田良之進の二少年、松の下に立
ちて互ひに争ひゐる。良之進は平日の服装にて、袴をつく。八十次
郎は火薬製造に手伝ひせるため、短袴の上に浴衣を上張りに着て襷
などかけたり。この日は葦垣を結び火薬を製造する日なれば、旧塾
の寄宿生は全部その労働に従事して、或は無尻絆纏を被り、合羽を
着け、泥にまみれ、頬被りして、思ひ/\の姿をなす。
むなぐら
岡 田 (八十次郎に胸座をとられつゝ)知らん、僕は知らん。
八 十 知らん――貴様! では君は誰の弟子だ。
岡 田 云はん。君に詰問されて答へる筈はない。
八 十 何、何。(松樹の幹に対者を押し詰め)洗心洞学舎にゐれば大塩
先生の弟子ではないか。われ/\旧塾の者が泥まみれになつて働い
・・・・・・
てゐるのに、新塾の者はぞべらくらりと見てゐるぢやないか。長崎
ばつてん、田舎者。
岡 田 (蒼くなり顛へつゝ)僕は長崎生れだよ、田舎者だ。
八 十 袴を見ろ。ズル/\引きずつて、地べたでも掃くのか。
岡 田 何。
びんつけ
八 十 君は洗心洞の塾風をやぶつてゐる。頭を見ろ。何んだ鬢附油など
かげま
光らせて、まるで蔭間野郎のやうだ。
こら
岡 田 何んとでも云へ、云へ。(口惜し涙を怺へて)僕は学問修業に上
つたのだ。炮術稽古に出て来たのではない。
八 十 何、青瓢箪! 大塩の学風は功名気節を貴ぶ実用学だ。書物を読
はこ
むのも武術をやるのも、みな同じく学問だ。来て葦を搬べ。
岡 田 僕は師匠から、そんな命令をうけてゐない。
八 十 師匠とは誰だい。先生とは誰だ。
岡 田 誰でもいゝ。
八 十 貴公の師匠は、あの青表紙、腰抜け塾頭か。
岡 田 (奮然と肩を立て)君、君は先輩にそんなこと云つて、好いのか。
わら
八 十 俺ひとり云ふんぢやない。旧塾生はみな然う云つて嗤つてゐる。
岡 田 然し大塩先生でさへ呼び捨てにはしないぞ。宇津木兄とか共甫君
とか、かならず敬称を用ゆるぞ。
八 十 大先生があまり塾頭を大切にするから、それで新塾のやつ等増長
するんだ。われ/\が毎朝暗いうちから起きて働くのに、新塾のや
つは一人だつて出て来ない。新入生の癖に失敬だらう、生意気ぢや
ないか。来て一緒に働け。(と引ツ張る)
岡 田 厭やだ。腰抜け塾頭と云つたから余計厭やだ。僕は宇津木共甫先
生の門人だ。
八 十 生意気云ふな。宇津木共甫は大塩中斎の門人だ。
岡 田 馬鹿云へ。僕が束脩の礼をとつたのは共甫先生一人だ。
八 十 馬鹿と云つたな。
岡 田 君こそ、腰抜けと云つた。
八 十 制裁を加へてやる。旧塾へ来い――来い。
岡 田 厭やだ。
八 十 来い、来い。
両少年、取組み合つて争ふ。
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