この前、岡田良之進、泣きながら入り来り、松樹の下に佇む。袖も
袴もほころびて、顔の辺などすこし擦りむく。
宇津木 (良之進を見て)岡田、どうかしたのか。
岡 田 庄司さんは……今、直ぐに、見えるさうです。
う
宇津木 お前、撲たれたのではないか。(庭に下りる)
岡 田 旧塾の大井兄が後から談判に来ます。
宇津木 君の方から仕掛けたのか。
岡 田 旧塾が一致して、先生を……讒謗するんです。僕、それが、口惜
しいんです。(啜り泣く)
宇津木 うむ、僕に関係したことなら、それで好い。暴悪にさからへばわ
ほろ あらそひ
が善もまた泯ぶ。紛争を厭ふこゝろ、直ちに強者なのだ。痛むかい、
水で冷してあげよう。
宇津木、岡田をつれて井戸の方へ行く。
河合郷左衛門、憤激してセカ/\入り来る。
河 合 まだ庄司に会はないのか。
平 山 (顔を顰めて、低声)君が来ては困るよ。如何にも申し合せたや
うに見えるぢやないか。御門前に待つてゐてくれよ。
かま
河 合 関はん! こつちは死活の問題だ。
平 山 まア、落着けよ。
おとし
河 合 先生が悪いんだ。われ/\を陥穽にかけるんだ。
平 山 君は忰を退塾させると云つてゐたではないか。
河 合 無論、退塾だ。いま呼び出しを頼んだから、連れて帰る。(プリ
/\してその辺を歩みつゝ)大塩先生は恐ろしい人だ。自分の門弟
をみな餌とする。増長、暴慢、ありや慢心病なのだ。いよいよ組替
になれば、おれは孫子の代まで先生を怨む。
ぬし
平 山 (苦笑)お主にも弱る。口ばかりも慎しめよ。
あつし
庄司儀左衛門、火薬製造の姿、厚子に縄帯縄襷、顔も両手も木炭の
粉に塗れて、頬被りを取りつゝ出て来る。
河 合 (ツカ/\と進みてその腕を摘む)儀左、儀左。貴公と云ふ人は、
何んたる料簡だ。
庄 司 何んだ……。(呆れて河合の顔を見る)
河 合 跡部さまはひツしと御立腹だ。組替の取り沙汰、聞かないのか。
庄 司 偖ては――。(面色を変じ)お触れ出しになつたのか。
平 山 河合、待てよ。(と間に入り)庄司兄、困つたことになつた。
おかみ
庄 司 然し、過日御上の御口振りでは――
あぐ す
平 山 中斎先生にも厭ねるよ。(嘆息)為ることが執拗過ぎる。御奉行
さまの御腹立ちは、尤もだと思ふ。
庄 司 あ。(手の平を叩き)鴻ノ池一統に対する御用金の建白書ではな
いか。
平 山 それだ。(重く頷首く)
庄 司 あの事なら別條はあるまい。お上にほ書面を御覧の上に、文面の
趣は確かに聴き置く、追つて沙汰もあらうと、書状は穏かに格之助
さままで御下げになつてゐるのだ。
平 山 それは庄司兄、第三回の建白書だらう。饑饉救済のために鴻ノ池
はじめ三郷の分限者に六万両の金を御用申し付け、それを淀川運上
に新規の課税をかけて、三箇年賦に弁済するとか云ふ、先生御自慢
の賦金法だらう。それも聞いたが、今度は別だ。
庄 司 (平山の顔を不安さうに見詰めて)はアて?
河合、木戸口に立ちて先程より頻りに忰八十次郎を探しゐたりしが、
遠くその事を見つけたる心持にて、突然大声で叫ぶ。
河 合 八十々々、おうい、八十次郎、八十次郎!
平 山 (舌打ち、河合を見て)喧ましいなア、話があるんだ。
河 合 こつちも用だ。(プンと面を膨らし、手招きしてわざと大声に)
八十、八十次郎、八十次郎!
八十次郎、走り来る。
八 十 お父さん、何か用ですか。
ば ば
河 合 祖母さまが病気だ。直ぐ願つて宅へ下るのだ。
八 十 厭やですよ。炮術の稽古が出来なくなります。
河 合 話がある。こちらへ来い。
ちやううち
八 十 来月の丁打に、みな競争して稽古してるんだから、宅下りなんか、
僕、厭やですよ。
河 合 こつちへ来い、来い。
河合、塾舎の裏手の方に行く、八十次郎、渋々と随ふ。
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