平 山 (河合を見送りて後)今の話だが、その第三の建白が体よく却下
になつたので、先生ひどく牙を噛んだと見える。今度は先生直接鴻
ノ池を訪問して、主人善右衛門に面談を求めて、声涙ともに下るの
熱弁をもつて、人道の大道を説き、施行金の発起を迫られたさうだ。
庄 司 それは何日頃のことか。
平 山 旧冬、二十八九日でもあらうか。鴻ノ池も先生の至情に感奮して、
多少の義金に応ずる心があつたらう。返答ぶりが至つてさわやかな
だき
ので、先生も大の御機嫌で、嘉例の大根煮とかを振舞はれて、大悦
びでお帰りになつたさうだ。
庄 司 有る、有る。うん。(膝を打ち) この頃妙に鴻ノ他の家風を賞
め、当代善右衛門の人物を認めてござる。
平 山 鴻ノ池とて一存にはならない。早速二十軒の両替仲間を集めて協
議すると、皆も先生の名声は知つてゐる。それ/゛\応分の醸金と
いふ場になつて、一人異存をとなへたのは米屋平石衛門なさうだ。
こめへい
米平の言ひ分には、窮民の救済は公儀の御役で、御城代さま御奉行
さまの御職掌だ。大塩さまはいかに学者でも高が与力の 御隠居、
その言葉に随つて金を出して他日御奉行所から差越し名聞のお叱り
かみ
をうけては申訳が立たない。一応御上に訴へ出て、御指図次第に事
を決めようとあつて、一昨日両替仲間から跡部さまに訴状を出すこ
とになつたのださうだ。
庄 司 それで分つた。(重く頷首き)初春以来先生は妙にそはついて、
あ か
何か喜び事でも待たしやるやうに見えた。嬰児さまの心勇みかと思
つたが、偖ては、鴻ノ他の返事を待つてござつたのだ。
平 山 再三、再四だらう。あゝ責め立てられては、跡部さまも堪忍がな
ていたらく
るまい。昨日も今日も散々の為体で、われ/\東組に当りちらして
ござる。内々は西組与力の内山彦次郎をもつて、東西組替の取調べ
が済んでゐると云ふ噂もある。
庄 司 然うか。何んにしても少し……あせり過ぎる。(嘆息)
平 山 どうだらう、庄司兄。この上は門人一同必死の覚悟をもつて、先
生の面を犯して、反省を求めようではないか。組の者一同の休戚に
も関することだ。
庄 司 どうも……覚束ない。(頸を振りて)議論となれば、善悪ともに
屈しないのが先生の癖だ。それに先生には善事を為すと云ふ信念が
ある。事実また、善事なのだ。たゞ、あまりにわが善を急ぎ過ぎる
らうしやう
のが病ひだ。癆症を病む人には……得てしてあの偏執があるやうだ。
(と大息する)
くかん
平 山 瀬田氏小泉氏などの意見には、寧ろ宇津木塾頭を煩はして、苦諌
を呈しては如何といふ説もある。先生もあれほど信頼してゐるのだ
む げ
から、無下にしりぞけもすまいと思ふが……。
庄 司 さア、これも思案ものだなア……。
ひ
平 山 然う老兄のやうに大事をとつては、話の乾る時がない。最近兄は
もつとも先生に接近してゐるのだ、何んとか工夫はないか。
庄 司 さア……。
八十次郎、バラ/\遁げ来る。河合、怒りて追ひ来る。
河 合 八十次郎。(睨めて)お前、親の言葉をそむくか。
八 十 丁打に行きたいんですよ。僕、炮術が面白いんです。
河 合 親の頸に縄がかゝるぞ。
八十 大先生に聞いて下さい。僕、厭やです。
八十次郎、走り去る。
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