Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.14

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その19

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第二幕 (8)

管理人註
  

    大井正一郎、垣に結ぶべく伐り揃へたる葦束を担うて入り来る。     宇津木を見るより、葦束をドサとそこに投げ棄て口をとがらして     来る。                         くわいび 大 井  塾頭、最前は少年に伝言だつたが、明日の会日をどうなさらう    と仰しやるんだ。 宇津木 たゞ輪講の有無をうかゞつたに過ぎません。 大 井 足下等は懐手して遊んでござるが、吾輩等は多忙を極めてゐる。     少し目を開いて見て頂きたい。大体あの少年は何んだ。生意気極     まる。 平八郎 (詩稿を読みつゝ)喧ましい。何を理窟云ふ。 大 井 (初めて平八郎に気がつき、心に驚きつゝも)わたくしにも、理    窟を云はして頂きたうございます。わたくしどものために洗心洞の    塾風が堕落したやうに云はれては、面白くありません。 平八郎 (詩篇より目を離さず)煩さい、あちらへ行つてくれ。 大 井 先生は塾頭を片贔屓になさる。仕事はもう厭やだ。    大井、怒りて出て行く。 平八郎 (暫くして、嘆息するやうに) うゝむ、恐るべき進歩だ。三四    年前の詩とは、まるで面目を一新してゐる。 宇津木 それだけ、意気が鎖沈したのでございませう。                           がんせい 平八郎 いや、然うは思はれない。ものを見る目が深く、眼晴が澄んでゐ                えんもく    る。(また読みつゝ)深沈淵黙――静影壁に沈むとでも評したい境    にゐる。文字もみな坐るべきところに坐つて、絶えて動揺不安の騒    がしさがない。 宇津木 (顔を撫で、羞らつて)先生、そりや、そりや……困りますよ。 平八郎 (巻を伏せ、瞑目)僕の文章などは、たゞ紛糾乱雑あるのみだ。              い け 宇津木 先生、どうも……不可ませんな。はゝはゝゝ。    平八郎、大息してまた読む。    この時、門前俄かに騒がしく、地車の音、人夫の声など聞ゆ。 平八郎 (突然、目を上げて)宇津木兄、君は夢を恐れないか。 宇津木 は? 平八郎 然うかなア……。僕の恐れるのは夢だ。如何に自ら譴責しても、    紛擾汚穢のわが夢をふせぐことが出来ない。    吉見英太郎、駈け来る。 英太郎 先生、先生。守口の白井氏から木砲をつくる松の木が着きました。 平八郎 (目も上げず)大井がゐるだらう、然う云へ。 英太郎 はい。(走り去る) 宇津木 (驚きて座を進め)先生、木砲とは、木砲とは何んでございます。 平八郎 うん。木の大砲よ。(意にも留めず、膝をゆすりて読み耽る)守    口の幸右衛門宅の松の老樹を伐つたと云ふから、試みに木砲をつく    つて、成績をためさうと思ふのだ。                ぼうびや 宇津木 (不安さうに)然し、棒火箭とか、木砲とか、いづれ願ひ済みと    は思ひますけれど……どうでござりませう。 平八郎 大丈夫だよ。棒火箭、木砲、みな砲術のうちだ。それ等を極めな    いでは、免許皆伝をうけたとは云はれない。 宇津木 然し―― 平八郎 詩品は天稟だが、人間は小心だなア。はゝはゝゝ。 宇津木 ………。    英太郎、また駈け来る。 英太郎 先生、大井兄は門前の居酒屋にゐて動きません。また酔つてゐま    す。 平八郎 わしも行つて見る。旧塾の者総出で、松の木を作事場へ搬ぶが    いゝ。    英太郎、走り去る。間もなく旧塾生八九名、ドヤ/\と起つて門前    の方へ行く。    平八郎、詩巻を置いて立ち上る。俯向ける宇津木を凝ツと見る。    間。 平八郎 (涙ぐめる声)宇津木兄。 宇津木 (顔を上げ) は? 平八郎 (その瞳を凝いツと見詰めて)君は遂に僕を責めてくれないのか    ねえ。僕は君の鞭撻を待つてゐたのだ。 宇津木 は――。(瞳顫へる)             かは 平八郎 それ遁げる。目を躱す!(視線を動かせじとして)何故おれに善    をなさしてくれないのだ。君は、僕の体の病ひを憂へてくれる、然    し、おれの、心上の病ひを何故救つてはくれないのだ。これ! ま    た俯向く、俯向くか、俯向くか――。 宇津木 は、は、は――。    宇津木、苦しさうに次第に俯向く。人夫大勢、塾生等、地車を轟か    して松の巨幹を搬び来る。平八郎、凝然として宇津木を睨みゐる。    夕日あざやかにその姿を色どる。                       ――(幕) ――

   
 


「大塩平八郎」目次/その18/その20

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ