Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その20

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第三幕 (1)

管理人註
  

   天保八年正月六七日頃。即ち前場と同日、一時間ほどの後。    大塩屋敷うち、食堂及び勝手向。  舞台下手寄りに、正面奥より中戸をくゞり、前方に舞台を縦断する石敷  の露地ありて、家屋を二部に分つ。露地の上手は家族居住の勝手向とな  り、下手の建物は塾生の食堂なり。                     れ ん じ  食堂は十二畳ほどの板敷の部屋。正面に櫺子窓ありて油障子を閉め、下  手は賄所に通ふ。木製粗造の飯竃を二列に置きならべ、椀、茶碗などの  食器を置く。壁には食事規定を貼り、板木、拍子木など懸けたり。                         なげし  勝手向は中の間、勝手の二重にしきられ、中の間の長押には有名なる  「胸中観花館」の横額を懸け、箪笥、茶棚等の器具を置き、勝手には置  爐、戸棚、家具棚など備はる。中の間の奥は内玄関に通じ、勝手の奥は  下女部屋及び壁所に通ふ舞台装置。器具調度ともに質素にして飾らざる  なかに、厳格にして旧慣古風をすてざる大塩家の家風を思はしむ。                 し め  時は正月松の内なれば、神棚に注連を張り、鏡餅蓬莱かざりなどを据ゑ、  また男子出生の祝ひに諸方より送られたる祝儀の品、破魔弓などを飾る。    幕あく――。荵生村の人足小頭吉五郎(当時の誤れる思想のために    社会の残虐をうけし同胞の一人)前場の松樹を運搬し来りし働き姿    のままにて、防手口の上り段にうづくまりて酒を振舞はれゐる。平    八郎、自身乗り出して酒をすゝめつゝ、熱心にその話を聞く。吉五    郎、三十四五蔵、壮健倔強の若者、やゝ酒に酔ふ。    賄方の下男三平、四十歳位。賄所と食堂の間を出入して飯櫃汁鍋な    どをはこぴ、塾生晩飯の用意をなす。 平八郎 (片頓に笑みつゝ)何、鳩の米? 鳩の食ふ――? 吉五郎 いゝえ、公儀から鳩の食ふほどの救米でござります。 平八郎 公儀から鳩の食ふほどの救米、仰山さうに年寄こい/\、か。                        ひとかまど 吉五郎 京の衆は、口が悪うございます。(飲む)一竈わづか二合か三合    の施米するとて、袴はいた町役を今日も明日もと奉行所へ呼びつけ                      て、書いた紙に判子の二三十も捺させ、やたらに御威光ぶりを振り    廻さツしやるが、町内諸人常の勘定を立てると、お救米などは当日    の雑用にも足りませぬ。はゝはゝゝ。 平八郎 役人の下情に通ぜぬは、古今の同弊だ。 吉五郎 近頃は各町内とも、役所手続きを面倒がつて、正直に窮民の書き    上げなどする者はござりませぬ。お役人はまたそれを出世のお手柄    にします。さもわが政治が行きとゞいて、支配下に一人の貧民も出              しんたつ    さぬやうに、江戸表へ申達なさるげにござりますよ。(笑ふ) 平八郎 京都も然うかなア……。(嘆息)尤も、過日猪飼敬所からなにが    しへの書面に、京役人は江戸上役の気受けをつくろふために、無理         ねりもの    から祇園の物を出させたり、四條の芝居小屋を興行させたり、ひ    たすら世上の泰平を装うてゐると聞いた。 吉五郎 (酒にやゝ舌もつれて)旦那さま、それに較べてやはり大塩さま    /\でござります。四年前、それ、巳年の凶作でござります。同じ    饑饉でもあの時は、町奉行所矢部駿河さまの御手配が行き届いて、                                 から    段々の御救助米も下さるれば、大坂三郷の分限者どももみな蔵を虚    にして施行につきました。表向きの功績は矢部さまでも、内実のお    差繰りはみな大塩さまの御苦労と、世間一統みな存じて居ります。                 ふぐり 平八郎 (聞きにくさうに)跡部の陰嚢ひき! 功名にあせるなら、実に    今なのだ。 吉五郎 同じ市中の落首でも違ひまするな。矢部うれし駿河の富士の山よ    りも、名は高うなる米は安うなる ――今度とは雲泥の相違でござり    ます。はゝはゝゝ。                 せき             せんげ 平八郎 しかしそれは、将軍家にも責はある。なにぶん来春は将軍宣下の        御大礼をおこなはせらるゝに、御費用万端は例によつて大坂町人の    献上金を待たせらるゝ御模様だ。今日饑饉救済に豪商どもを疲らせ    ては、来年の御慶事に事を欠く。小胆者の跡部は、ただそれを憂へ    てゐるのだ。 吉五郎 それほど御信仰の禁裡さまなら、御膝元の京都に、せめて食米ば    かりも満足に送りさうなものだ。旧冬厳重なお触れ出しで、京都輪    送米を毎日五百何石と限つたゝめ、京都中は絵にも書かれぬ難渋を                   ご き    なさいます。小前小者の貧民は御器を持たない新乞食になつて、続々    と当地へ流れ込み、歴々の町人衆さへ顔をつゝみ闇にまぎれて、五    升一斗の飯米をはる/゛\大坂まで買ひに下られます。それをまた、                  あらた    ・・    口々には番屋を据ゑ、厳重に人検めのうへぼひ返し、ぶち敲き、泣    き叫ぶものを召捕つて、たとへ二三升の風呂敷米でも、京へはのぼ    せぬ手段をなされます。 平八郎 昔もあつた――。(俯向いて、嘆息)葛泊といふ大名は、農人等                  こども    の弁当まで検め、持ち運びする小児をも打ち殺したと云ふ……。 吉五郎 大坂は天下の御台所、これを大事に踏んまへるには、諸国の難儀    まで目がとゞかぬといふなら、まだ知れてゐる。然し、跡部さまは    然うぢやない。現に諸方に手をのばして西国米を買ひ煽り、江戸廻                              こ  へつら    米の御用をつとめてござらしやる。それでは関東上役に媚び諂つて、    京大坂の者の首を締めるといふものだ。 平八郎 それはおれも聞いたが……雑説だらう。 吉五郎 雑説?(頸を立て、平八郎を見る)いゝえ、顕然証拠がござりま    す。過日、西方与力の内山彦次郎さまが跡部さまの隠密御用をうけ    て、兵庫表へ御出張になつたのは、専ら江戸御買上米の差略のため    でござります。兵庫の豪商北風荘右衛門、こいつまた強慾のけだも                          ざい    ので、内山さまはこいつと魂胆をあはせ、西の宮在灘目村に内密の                             しつかい    米市場を取り立てゝ大坂入津の諸国米を喰ひ止めては、悉皆関東筋    へ廻漕して居ります。 平八郎 (狼狽するやうに)これ、おれの機嫌をとつてはならないぞ。 吉五郎 え、機嫌‥‥‥? 平八郎 吉五郎、然し、それを真実として考へて見ろ、容易ならぬことだ    ぞ。跡部はその時、人民の敵だ。民の衣食を奪ふ暴虐は桀紂にも等    しいのだ。人民の敵、おれは大坂市民を敵としてゐる――恐らく政    治家として、これ以上怖ろしい自覚はないのだ。彼は一日もその職    にゐられるものではない。                        ちろり 吉五郎 一杯、下さりませ。(平八郎を見て、冷然銚釐を引き寄せる) 平八郎 衆怨のあつまるところ巨木も枯るゝと云ふ。さやう悪政あつて、    彼が安穏に生きる筈もなく、また生かす筈もないのだ。おれは彼を    庇ふのではないが、彼の苦しんでゐる点は認めてやりたい。現在政    治の病根は、政府の経済が疲弊して、あまりに金権に媚びる点にあ    る。城代、奉行、みな大坂商人の鼻息をうかゞつて、統治の権能を    発揮しかねてゐる。

大塩檄文


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