Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.7.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その3

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (3)

管理人註
  

   平八郎の説話中に東組同心吉見九郎右衛門(四十六歳)、庄司儀左    衛門(三十九歳)、渡辺良左衛門(四十七歳ほど)、河合郷左衛門   (三十八九歳)の四人、瀬田の後につゞいて入り来る。庄司は沈黙寡    言、渡辺は温厚実直の人、席もやゝ離れて坐す。河合は思慮燥急に    して、言行に不謹慎なるところあり。吉見は俊巡して決せざる態度    あり。 平八郎 それに、わしに云はせれば、この秋跡部の新任以来、東方にも少    し不慎みなところがあつた。例の一心寺の一件や、またその他にも    手落ちがないではない。壮年血気の跡部にして見れば、部下の者が    大塩の命令のみを聞いて、新奉行をないがしろにすると思つたかも    知れない。然しもう少し事情に通ずれば、大塩はどんな男か、今に    わかる時が来るだらう。思ふに今度の組替の風説は、跡部が少し、    策略を用ゐるのではないか。一同を反省させるために、わざとそん    な噂を立てたのではないかとも思ふ。先づ鳴りを鎮めて彼の挙動を    窺ふのだな。 河 合 (庄司の膝を突き)そら、先生は斯う云はれると思つた。 平八郎 (河合の軽燥を不快さうに見しが、目を転じて)皆は跡部を埒も    ない小人物のやうに云ふが、彼にも相応の着眼はあると思ふ。知つ    てる通り、わしは過日格之助をもつて、目前の饑饉救恤策を跡部ま    で申し送つた。それは従来、大坂の役所には凡そ六七万両の闕所銀    が納まつてゐる。何故この際その不浄金を発して窮民を賑はさない    と、彼に迫つて見た。その時跡部は答へて、三升五升の施米はたゞ    貧民一日の饑を凌ぐに過ぎない。現在の急務は運漕廻米の利便をつ    くして、米価根本の調節をはかるにある。一国の経済は、これを大    局に失はざるにありと云つた。好く言つたと思ふ。 河 合 (口をモガ/\させて)然し、先生はあの時―― 平八郎 (目を瞑つて河合を避け、強ひて聾を沈めつゝ)なる程、おれは    その時怒つた。然し……人の目には、その時憤激したわしの姿のみ                     が見えて、同時に深く衷心に愧ぢてゐるおれの蛮を見なかつたらう。    わしはその刹那、正直に愧ぢ得られたことを、今も身の幸ひと考へ    てゐる。おれは元来惻隠の心に溺れやすい。天地の蒼蒼、万物の無    限を問ひながら、とかく目前の小仁に惑はされる習気がある。これ    一個の慾情だ。然るに、跡部輩の一言にさへ端的に漸ぢることが出                              くやみ    来たのは、霊性の未だわれを棄てざるものがあつたのだ。悔悟はそ           の眉を舒べるといふが、わしは跡部の一言に塊ぢ得たと考へるだけ                  でも、自分のこゝろが暢びやかになつたやうに思ふ。今日格之助に                            第二の経済策を跡部へ進めさせたのは、些か這の自己心上の悦びを    彼に寄せたのだ。用と不用とは素より問ふところではない。 瀬 田 先生、その経済第二策といふを伺ふことが出来ませうか。 平八郎 さア、然し……(微笑しつゝ)恐らく諸公には、権奇の策を弄す    ると憎まれるだらう。 小 泉 けれども我々の心得にもなります。 平八郎 (姿勢を正して) いつも云ふ通り、今年の饑饉は容易なことで    はない三年前巳歳の不作などは比較にもならぬ。日本全国を通じて、    先づ天明年間以来の大凶荒なのだ。京都役所の調書には、当秋以来    の餓死人が三千、離散民が八千とあるが、わしはそれ以上に見てゐ              むなづもり     みつき    る。大坂などもわしの胸算では、三月間の餓死人が四千、新乞食三    千、人別のがれの窮民が七千、先づその見当だらう。(言語次第に                              すく    熱して、顔色却つて和らぐやうに見ゆ)この大艱難の時を済ふには、    到底常道常識の政治では駄目だ。已むなくんば只、逆に取つて順に        だん    守る――断だ、断の一字にある。それで、わしは二ツの仕法を案じ    出した。その第一は大坂三郷の富豪家に厳命を下して、この際半年    間、諸国大名への貸銀を停止させるのだ。第二には奉行の威光をも    つて、市中の米相場を暴騰させるのだ。当時淀屋橋が一石百六十目    ならば、然うだ、百八十目九十目にも相場を引き上げさせるのだ。    わしは先づこの二策以外に、時の災変を救ふ仕法はないと思ふ。(    微笑みつゝ)斯う云へぼ、諸公或はまた中斎の逆説逆論と思ふだら                  そろばんだま    う。けれども、わしは慎密に十呂盤珠を弾きながら話してゐるのだ。    どうだ、諸公の意見を聞かう。


















幸田成友
『大塩平八郎』
その104










幸田成友
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