Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その21

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第三幕 (2)

管理人註
  

   大井正一郎、したゝかに酔うて入り来る。       よ ろ 大 井 (蹣跚めきつゝ)先生、何故あの時、わたくしにも云はして下さ    らないんだ。 平八郎 (大井を見、後)後世は金銀が、そのまゝ人間の欲望となつた。    融通のために仮に用ゐた金銭が、今は物品のさかひを越えて、人心    を動かすちからとなつた。その金銀が政治の権と結びつく時、そこ     もろ/\       ひせい    に諸々の邪悪、秕政が行はれるのだ。金力が金権に移つたのだ。好                            むざん    く見ろ、三都と云ふがなかにも、近年大坂金持の放埼無慙さはどう          かしがね    だ。諸大名に貸銀して莫大の利得を得てゐながら、様々の名目のも            おあてがひ    とに諸家の扶持米御充行を掠め取り、なほ飽き足らず僣上にも、大    名家の家老用人などと格式まで奪ひ取つてゐる。彼等は恐るべき金    力を右に、支配の権力を左に握つて、実に傍若無人……、万物一体    の仁を忘れ、わが得手勝手に政道を曲げようとしてゐる。    吉五郎、興味なさゝうに聞き、酒を飲む。 大 井 大塩先生。(両手を柱に搦み、声帯を搾るやうにして叫ぶ) 平八郎 喧ましい。(門弟を叱し、穏かに吉五郎に)金持とは何んだ。彼    に何んの産業がある。彼等はたゞ、金銀を死蔵する無頼の遊民だ。    然るに現在の役人奉行は、その無頼遊民の庇護をうけて、辛うじて    財政を運用してゐるのだ。金持の前に頭が上らないのだ。金持町人    の機嫌をとつて下々の難儀など顧みてはゐられないのだ。今日諸役         こまぬ    人ども手を拱いて窮民救済に誠意がないのは、要するに政治の大権    が金力に圧倒されてゐるためなのだ。駄目だ。最早や役人どもなど                      に待つ時ではない。びつこ馬は撻たれるほど動かなくなる。はゝ                            はし    はゝゝ。(快然と笑つて)おれも馬鹿だ、ぴつこ馬を馳らせようと    して旧冬以来さん/゛\手を焼いたのだ。その位に在らざればその    政を謀らずの本文を正直に守り、跡部に功をなさせて時務の難を救    ふべく肝胆を砕いて再三再四上書も建白もして見たが、やつぱり駄    目だ。駑馬ほど、鞭には驚かない。はゝはゝゝ。この上は金持町人    自身を動かして、その反省を求めるより外に策はない。 吉五郎 それとて、何んになりませう。(冷然として飲む)世間に食ひ足    らぬ者は多く、食ひ余ると云ふ者は少うございます。 平八郎 (むッとして)然し、有り余るものが足りないものを救はずして、    誰が救ふ。                          ひら 吉五郎 救ふ。厭やな言葉だ。(吐き出すやうに)手の平からものを投げ    るやうな言葉だ。 平八郎 なら、今の世をどうする。一日二日の稼ぎするものが、どうして    一升二百五十文の米が食へる。 吉五郎 成るやうに成りませう。それが世間だ。 平八郎 (屹ツとして)吉五郎、貴様謀叛を待つてゐるな。 吉五郎 とんでもない……。(思はず平八郎を見詰める) 平八郎 (声を柔らげて)その絶望はいかぬ。誰しも窮民の難渋を憂へぬ    ものはない。 吉五郎 憂へたり救つたり、両方はなりますまい。はゝはゝゝ。 大 井 (又、顔を上げ)先生、宇津木をあのまゝ置かれますか。 平八郎 吉五郎、おれは跡部には失望したが、自分の誠意に失望はしない。    第二、第三、第四、建言は順次にやぶり棄てられても、おれは第五、              すく    第六の策を立てゝ世を済はずにゐられない。おれは決心して、鴻ノ    他に行つた。そして当主に説いた。 吉五郎 鴻ノ池でござりますか……。(冷笑を含む)       ひが 平八郎 然う僻んではよくない。金持とて人間だ、人に忍びざるの心はあ    るのだ。訳をもつて問へば、誠をもつて応へる。現に六万両の救助    金に、彼はこゝろよく応じてくれた。                     いた 吉五郎 昔から、神信心と施しとに、身上を傷めた金持はないと申します。 平八郎 然し、鴻ノ池一門は、旧家だ、名家だ。さすがに冥利を知つてゐ    る。                   ぶげん 吉五郎 冥利を知るほどなら、あゝは分限になりますまい。 大 井 (上り段にべタリと腰掛け)先生、撲たれてもいゝ。彼は奸物で    す。彼が世事に超越して見えるのは、一箇の俗才に過ぎません。彼    は洗心洞の反逆者です。 平八郎 (聞かぬさまにて)吉五郎、おれはこの元旦、衣服をあらためて                           ふ と    雑煮の膳に向つて、太箸を取り、食はんとして、不図涙が……止め    度なく頼を流れてゐる。いま市中にさまようて飢寒に苦しむ人々を    思ふと、結構に料理した雑煮の餅が、急に咽を下らなくなつたのだ。    その時の詩だ。忽思城中多菜色、一身温飽愧于天――偽らざる    その時の心持なのだ。同時に稲妻のごとくわが心を掠めたのは、何    故おれは食つて彼は食はぬか……と云ふ言葉だ。誰でも深く考へて    見るが好い、何故おれは食つて彼は食へぬか……考へるほど心に寒      しようぜん    く、悚然として戦慄せずにゐられない、人間の大きな問題だ。 吉五郎 旦那はやつばり学者だ。わが物差で人の背をはかる。 平八郎 (腹立たしげに)何故おれに有つて、彼等には無いのだ。 吉五郎 それは、問ひにはなりませぬ。餅の無いやつは食ふな、食はずに    死ね、斯う教へられて居ります。          むご 平八郎 その世間を惨い、惨酷とは思はないか。 吉五郎 それまで考へては、われ/\など生きる場席がごぎいませぬ。 平八郎 然し吉五、人間の本然には、善をなさずにゐられない強烈なる要    求もあるのだ。如何にお前が拒んでも、その霊性を見ずに居られな    い時が来るのだ。お前はそれを見る時がある。














秕政
悪い政治












































駑馬
(どば)
足ののろい馬、
才能の劣る人














































































石崎東国
『大塩平八郎伝』
 その63







悚然
ひどく恐れるさま


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