Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その24

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第三幕 (5)

管理人註
  

   塾生等、食事を終りて去る。庄司も食事を終りて、わが食器など片    附ける時、宇津木矩之允、門弟岡田良之進をつれて、食堂に入り来    る。微笑をもつて庄司に目礼しつゝ、わが席につく。    大井正一郎、鼾をかきて眠る。 庄 司 (勝手口に立ち寄りて)先生。 平八郎 儀左、険悪な世の中になつたなア。(笑ひながら座に戻つて)ど    うしたのか、上れ。 庄 司 とかく組中の者が動揺いたしまして……、平山なども頭を悩まし    て居ります。(静かに坐りながら)先生、旧冬二十八日の頃、あな    た様は鴻ノ他の本家をお尋ねなさいましたか。 平八郎 うん? (驚きて庄司を見る) 庄 司 目下の貧民救済のため、何万両とかの醵金を彼等にお迫りなさい    ましたか。 平八郎 誰が跡部へしやべつたのだ。 庄 司 その時の鴻ノ他は、いづれ一族協議の上、といふ御返事であつた    と申しまするが、今日までに、最早やその応答が鴻ノ他から参つて    居りませうか。 平八郎 それは未だ来ない。おれは、個人の資格で説いたのだ。跡部の職    責を傷つけることではない。おれには……おれにも、一人の人間と    しての平八郎があるのだ。 庄 司 さやうでござりますか。やはり……事実でござりまするかなア。    (喜はしげに嘆息して俯向く) 平八郎 (不安さうに、言語も少し躓きつゝ)儀左衛門、跡部はそれを誰    に聞いたのだ。鴻ノ池はそれ程おれに……信義をやぶる者とも思は    れない。現に、おれが、彼に説くと、彼は涙を流しておれの熱誠に    感動してゐたのだ。畳についたおれの両手をとつて、額に頂かない    ばかり……今の世には有り難い御志だと、彼は心底から悦んでくれ    た。 庄 司 (項垂れて)はい。              さは 平八郎 それが何んで跡部に障る。一個の平八郎と一個の鴻ノ池との相談    なのだ。何も……障るところはない筈だ。儀左衛門、お前も公平に    考へて見てくれ。目下の窮民を救ふとは悪いことなのか。私情もな    く、私慾もなく、たゞ何んとかして食はせたい救ひたいと思ふのが、                              やま    何んで跡部を怒らせるのだらう。おれは如何に考へても、疾しいと    は思はれない。 庄 司 御性質として、お言葉はよく分ります。(溜息) 平八郎 (寧ろ訴へるやうな口調にて)なア庄司、跡部はなぜ俺と手を握    り合ふ気になれないだらう。おれは跡部を敵としてはゐないぞ、却    つて彼に名を成させるつもりでゐる。今度の六万両も鴻ノ池から返    事があり次第、おれはそれを跡部の功績にするこゝろでゐた。元来    おれは敵をもつ時、極度に苦しむ性質なのだ。敵は持ちたくない!    彼の方から打ち解けて味方になれば、おれは人のために夢中になつ    て、働く男なのだ。彼自身の功名のためにも、何故おれ一人ぐらゐ    籠絡出来ないだらう。おれはそれを思ふと、跡部に言つて、たがひ    に膝を抱き込んでトツクリと話してみたいと思ふ時すらある。(急    に又、わが言葉に興味をもち)駄目かなア庄司、跡部は虚心坦懐お    れの言葉に耳を傾ける気はないだらうか。おれは、いつでも会ふよ。 庄 司 鴻ノ池の話が斯く悪意につたはりますやうでは、跡部さまの御心    も大抵知れて居ります。 平八郎 鴻ノ池はもう好い。高が町人だ。唯、跡部よ。跡部はおれと事を    共にする気はないのだらうか。 庄 司 さやう――。 平八郎 彼とおれとこゝろを合せれば、時局の艱難など何んでもないこと    だがなア……。(自嘲的に笑つて)はゝはゝゝ、それも駄目か。ま                   ア何事も、云はぬこと、為ぬことだ。 庄 司 先づ、そのほかはござりますまい。    平八郎、大声に、然し寂しげに笑ふ。庄司、俯向いて沈思する。 平八郎 (やゝ長き間を置いて、さりげなく)庄司、おれはそれに就いて    折り入つてお前に頼みたいことがあるのだが……。 庄 司 (顔を上げ) 何んでござります。

   


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