塾生等、食事を終りて去る。庄司も食事を終りて、わが食器など片
附ける時、宇津木矩之允、門弟岡田良之進をつれて、食堂に入り来
る。微笑をもつて庄司に目礼しつゝ、わが席につく。
大井正一郎、鼾をかきて眠る。
庄 司 (勝手口に立ち寄りて)先生。
平八郎 儀左、険悪な世の中になつたなア。(笑ひながら座に戻つて)ど
うしたのか、上れ。
庄 司 とかく組中の者が動揺いたしまして……、平山なども頭を悩まし
て居ります。(静かに坐りながら)先生、旧冬二十八日の頃、あな
た様は鴻ノ他の本家をお尋ねなさいましたか。
平八郎 うん? (驚きて庄司を見る)
庄 司 目下の貧民救済のため、何万両とかの醵金を彼等にお迫りなさい
ましたか。
平八郎 誰が跡部へしやべつたのだ。
庄 司 その時の鴻ノ他は、いづれ一族協議の上、といふ御返事であつた
と申しまするが、今日までに、最早やその応答が鴻ノ他から参つて
居りませうか。
平八郎 それは未だ来ない。おれは、個人の資格で説いたのだ。跡部の職
責を傷つけることではない。おれには……おれにも、一人の人間と
しての平八郎があるのだ。
庄 司 さやうでござりますか。やはり……事実でござりまするかなア。
(喜はしげに嘆息して俯向く)
平八郎 (不安さうに、言語も少し躓きつゝ)儀左衛門、跡部はそれを誰
に聞いたのだ。鴻ノ池はそれ程おれに……信義をやぶる者とも思は
れない。現に、おれが、彼に説くと、彼は涙を流しておれの熱誠に
感動してゐたのだ。畳についたおれの両手をとつて、額に頂かない
ばかり……今の世には有り難い御志だと、彼は心底から悦んでくれ
た。
庄 司 (項垂れて)はい。
さは
平八郎 それが何んで跡部に障る。一個の平八郎と一個の鴻ノ池との相談
なのだ。何も……障るところはない筈だ。儀左衛門、お前も公平に
考へて見てくれ。目下の窮民を救ふとは悪いことなのか。私情もな
く、私慾もなく、たゞ何んとかして食はせたい救ひたいと思ふのが、
やま
何んで跡部を怒らせるのだらう。おれは如何に考へても、疾しいと
は思はれない。
庄 司 御性質として、お言葉はよく分ります。(溜息)
平八郎 (寧ろ訴へるやうな口調にて)なア庄司、跡部はなぜ俺と手を握
り合ふ気になれないだらう。おれは跡部を敵としてはゐないぞ、却
つて彼に名を成させるつもりでゐる。今度の六万両も鴻ノ池から返
事があり次第、おれはそれを跡部の功績にするこゝろでゐた。元来
おれは敵をもつ時、極度に苦しむ性質なのだ。敵は持ちたくない!
彼の方から打ち解けて味方になれば、おれは人のために夢中になつ
て、働く男なのだ。彼自身の功名のためにも、何故おれ一人ぐらゐ
籠絡出来ないだらう。おれはそれを思ふと、跡部に言つて、たがひ
に膝を抱き込んでトツクリと話してみたいと思ふ時すらある。(急
に又、わが言葉に興味をもち)駄目かなア庄司、跡部は虚心坦懐お
れの言葉に耳を傾ける気はないだらうか。おれは、いつでも会ふよ。
庄 司 鴻ノ池の話が斯く悪意につたはりますやうでは、跡部さまの御心
も大抵知れて居ります。
平八郎 鴻ノ池はもう好い。高が町人だ。唯、跡部よ。跡部はおれと事を
共にする気はないのだらうか。
庄 司 さやう――。
平八郎 彼とおれとこゝろを合せれば、時局の艱難など何んでもないこと
だがなア……。(自嘲的に笑つて)はゝはゝゝ、それも駄目か。ま
せ
ア何事も、云はぬこと、為ぬことだ。
庄 司 先づ、そのほかはござりますまい。
平八郎、大声に、然し寂しげに笑ふ。庄司、俯向いて沈思する。
平八郎 (やゝ長き間を置いて、さりげなく)庄司、おれはそれに就いて
折り入つてお前に頼みたいことがあるのだが……。
庄 司 (顔を上げ) 何んでござります。
|