Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その30

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第四幕 (2)

管理人註
  

格之助 (父を支ゆるやうにして)お父上、河内屋の番頭から施行につい    て口上がござりました。 平八郎 うん? (仕方なく格之助を見る)                           せぎやうふだ 格之助 けふ安堂寺町の本屋会所に於て、かねて配布せる施行札を引き換                                けんめん    へに一人一朱づつ施行いたし、昼前締切までに引き渡しました券面    がこの通りでござります。(使用済の施行札を出し)総数四千二百    五十七枚、これを金高に直して二百五十両あまり、滞りなく相渡し    ましたさうでござります。 平八郎 昨日の施行高は? 幾何ほどとか云つたな。 格之助 昨日は午前午後ともに統一いたして札数三千四百六十幾枚、金高    百八十幾両になります。 平八郎 昨日一日より今日昼前の施行数が、遥かに多いではないか。 格之助 昨日はまだ施行の趣意が郷村まで、よく通達いたさなかつたと思    はれます。施行札をうけた村々でも、大塩さまが何故自力にて斯く    莫大の施行をなさるゝか、蔵書全部を売り払つて六百二十両の大金    を貧民に施されるとは合点がゆかぬなどと、却つて疑惑するものが    多かつたと申します。    平八郎、熱心に宇津木を凝視する。宇津木、聞かぬさまに空嘯きゐ    る。 格之助 半信半疑ながら施行券をうけて、昨日安堂寺町の会所に参つた農    民どもゝ、滞りなく金子の施行いたされるを見て、初めて父上の広    大な御慈悲に驚いたものと見えます。感嘆して銘々の居村に帰つて    吹聴いたしましたので、今日はもう早朝より押すな押すなと書林ど    もの店先につめかけ、大塩さまの明神さまのと叫んで、大層もない    ざつたう    雑鬧を極めたと申します。 平八郎 (宇津木を睨み、声のみに笑ふ)はゝはゝゝ。                          こまね 瀬 田 そりや然うなくてはなりますまい。奉行ほ手を拱いて為すところ    なく、鴻ノ池天王寺屋の豪商どもさへ未だ何んの催しもなき時、先    生御一身の慈善をもつて一人一朱づつ、一万近い施行をなされるの    でござります。驚くのが当り前と思ひます。 平八郎 それで、施行は三日間だ。今日の午後、明日に残る金高はどれほ    どあるのだ。 格之助 昨今両日にて三百四十両ほどでござりますから、未だ残金が……    三百両近く、かれこれ五千枚ほどの施行券が、まだ引き換へられず    にある筈と思ひます。 平八郎 一人一朱の金は些少なものかも知れない。然し一万人の大衆に、    たとへ    仮令僅少づつでも難溢を救つた訳になるのだ。はゝはゝは。 庄 司 一朱の金があれば白米が一升、麦が三升買はれます。どれほど貧    民の潤ひになるか知れませぬ。 大 井 (宇津木に冷笑を送りつゝ)京都町奉行所の救米が一軒あてに三    合とか聞いた。一大塩家の施行が一朱銀一つ……はゝは1ゝ。こりや    鳩の食ふほどではなかつた見える。 平八郎 (宇津木の目を離し、静かに)おれが施行を思ひ立つた時、「耕    すや、餒その中にあり」と云つて、おれの所業を冷笑したものがあ               あ          う    ると聞いた。民は食に飽く歳あり又饑ゆる歳あり、過不足 もまた    自然の妙理にして、人力をもつて動かしがたいと達観して、おれの    焦燥を嘲つたやつがあると聞いた。然し、おれの読んだ論語には、    さやうな無情な言葉は断じて見当らなかつた。聖人は断じてさる冷    酷の言を発すべきではないと思ふ。おれは論語の本文を「耕すや」    とは読まぬ。「耕すも餒その中にあり」と読んでゐる。然う読んで    初めて、下文に、「学べば禄おのづからその中にあり」の格言に光                               ねいべん    を発するのだ。聖人の至言は小人輩の推測分量をゆるさぬ。侫弁口    才の小人ほど世間を誤る者はないのだ。 宇津木 先生! (屹ツとして進み出る) 平八郎 何んだ。 宇津木 その諷刺はわたくしに当るものと思はれます。        だうちやうとせつ 平八郎 おれは道聴途説するのだ。必ずしも足下を云ふのではない。然し    ……、論あらば聞く。 宇津木 わたくしは先生が三十年の苦心をもつて集められた書籍を、一朝    にして売り払はれるのを悲しみました。民に施さるゝ恩恵を悪事と                こじん    は思ひませぬ。学者の蔵書は賈人の財に等し。一時の情勢に憤激し    て、終生の悔を残さるゝのを愚かしと思つたのだ。 平八郎 女は面に白粉を塗る、紅を装ふ。その女が紅粉を厳して世の窮民    を救つたら、君はそれを何んと云ふ。 宇津木 美譚と思ひます。 平八郎 学者が書籍を売る、女の白粉を廃すると、何んの相違がある。見    よ、滔々たる天下の読書生、書を読み文を飾ると雖も、一人として    婦女子の嬬態をつくらざる者あるか。書籍は学者の白粉だ。その粉    飾を撤して真骨頭に立つ、それこそ実学、大塩学の骨髄なのだ。 宇津木 極端の論だ。(不快さうに口を噤む) 平八郎 極端だ?        こぼ 宇津木 傾けば滾れるまで傾くのは御気性です。善を責めても、また悪を    悔むも、先生は必ずその極端を極めずにはゐられない人です。わた    くしには従つて行けません。 平八郎 利口なものは溺れる河に近づかないとよ。 宇津木 然うかも知れません。然しそれは利口のためではない。わが分を                   のり  こ    量つて自ら止ることを知り、その矩を踰えません。 平八郎 不快だ。聖経の文字を口にするな。(横を向く) 宇津木 然うですか。    不快なる沈黙。 平八郎 (莞爾として口を開く)貴公は満座のなかに師説を嘲弄して礼を    失つたとは思はないか。 宇津木 学説は曲げられません。       しろ 平八郎 門人子路が孔子に仕へるに、家臣の礼をとつたのが何故悪いのだ。    それを過ぎたりとして退けたまふのは聖人の美徳であらうが、師父    を尊敬するのあまり、臣子の礼をもつて仕へた子路の真情には、む      なら    しろ傚ふべきところがある。       こうふうし 宇津木 然し孔夫子は、たとへ道路に斃れ死すともその詐りをうけないと    まで憤つてゐます。 平八郎 聖人にも固執はある。孔子の謙遜と見てもいゝ。 宇津木 然うは思ひません。(頑固に首を振り)然うは思ひません。    平八郎、口を噤んで蒼白なる宇津木の顔を睨む。



(だい)
うえる。ひ
どく腹がす
く


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