瀬田、忠兵衛等も驚く。隣室の塾生等はドヤ/\と走り来り、閾際
に立ちて聞く。
渡 辺 平山君が附人となつて、御隠居役の荻野勘左衛門どのが御出張な
されました。
た か は り
平八郎 門前に……高張提灯などないか。
ぽくり
渡 辺 いゝえ、いづれも平服のまゝ木履がけでございます。
きるもの
平八郎 (やゝ落着いて)然うか。客間へ通して置いてくれ。着物を換へ
て会はう。(奥に入る)
渡辺、去る。塾生等も隣室に退去す。
瀬 田 忠兵衛どの。(不安さうに低声)最前、容易ならぬ風説と云はれ
たが、何か先生のお身柄にかゝはるやうな話でも……
忠兵衛 いや、大てい大丈夫だ。そんな事は……ございますまい。(口尻
を噛みつゝ心配さうに客間の気勢を窺う)
瀬 田 然しそんな無法をなされては、それこそ世間の騒動だ。兎に角、
役所へ詰めて見ませうか。
小 泉 この際の施行が……罪になるとは思はれないて。
瀬 田 待て/\、今に様子が分る。庄司が行つてゐるから、役所の方は
気遣ひあるまい。
小 泉 それでも若し――
瀬 田 (顔を顰め、睨む)騒ぐなよ!
一同不安さうに沈黙する時、隣室俄かに騒がしく、何か罵り合ふや
うな声、断続して聞え来る。
瀬 田 何んだ/\、大井だな。何を論じてるんだ。
小 泉 (腰を立てゝ聞きつゝ)相手は……平山だ。平山のやうだ。
大井正一郎、平山助次郎(洗心洞門人、東組与力)と論争する声、
次第に明瞭となる。但し、姿を見ず。
平 山 その詰問が甚だ不快だ。僕は洗心洞門人として、君等よりは遠か
に先輩なのだ。
大 井 然らば何故に、近頃洗心洞を疎遠にするんだ。
平 山 町目付の役儀は、たとへ師弟の間柄でも、私の交際は遠慮しなけ
ればならないのだ。
へつら
小 泉 何故今日の使をうけた。跡部に諂つて何故使者に立つた。
平 山 口上役は荻野氏だ。おれはたゞ附人として同道したまでだ。現に
おれは応対の席にも出ず、玄関に待つてゐるではないか。
大 井 貴公、大塩塾の学則には飽くまで背かぬな。
平 山 入門の時、盟約書を入れてる。おれは弟子だ。
大 井 今日の使は何んの使だ。先生を罰するのか。
平 山 おれは知らない。その役の者に聞くがいゝ。(突然、声立てゝ)
何をする、乱暴者!
大 井 貴様は先生を探索してゐた、跡部の犬だ。
平 山 (少しく怯えたる声)これ、何をするんだ、何をする。
大 井 跡部の口上を云へ。先生ほ蟄居か、追放か。
平 山 知らん。おれはたゞ、荻野の附人に来たのだ。
大 井 何い。
膳椀を踏み割る音。乱暴する大井を取り支へて人々の立騒ぐ間に、
怒号する大井の叫声聞える。平山助次郎、顔に投掛けられし酒を拭
きつゝ門生に押し隔てられて、講堂の方に姿を顕はす。
忠兵衛 平山さん、また大井君の乱暴ですか。
平 山 先生の探偵に来てゐると思ふのだらう。乱暴者!
瀬 田 時に役所の模様はどうだ。(小声)むつかしくなりさうか。
平 山 僕にや何んとも云へないよ。先生の出やう一つだ。
まさか
小 泉 然し、真逆に表立つてお咎めなどはないだらう。
平 山 さア……、兎にかく先生の返事次第だらう。
小 泉 平山君、そんなに切迫してゐる御模様か。
瀬 田 困つたものだ。(嘆息して腕を組む)
忠兵衛 (顔を上げて)皆さん、こりやもう仕方ありません。あの御気性
では、制して止まる人ぢやない。行くところまで行くもよからう。
どうせわれ/\も連坐は遁れますまい。(酒を飲む)
隣室の大井正一郎、一同のとゞむるも聞かず、平山を罵倒しつゝ講
堂に闖入し来らんとする時、平八郎、顔色悪しく悄然と客間より戻
り来る。大井を一瞥したるのみ、無言、その座につく。大井、畏縮
して閾際に坐る。
|