Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.30

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その35

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第四幕 (7)

管理人註
  

平 山 (平八郎を見て) 荻野氏はもう帰られましたか。 平八郎 いま帰つた。が、御用済みになつたから、君は自宅へ引取つても    よいとの伝言であつた。 平 山 さやうでございますか。それでは手前……(と立ち掛ける) 瀬 田 待てよ、平山。何か先生のお話があるだらう。            平 山 うん、然し、些と用事もあるのだ。    平山、迷惑さうに坐す。大井、膝を立てゝ平山を威嚇する。    渡辺、書見等の同心等も、心配さうに隣室より窺ふ。                   ご さつと 瀬 田 先生、それで、御奉行さまの御察当はどう云ふ名目なので御座り    ます。施行をどうせいと仰せられました。 平八郎 いや、橋本の悲憤する程ではない。案外穏かなものであつた。格    之助がわが組につとめる以上は、たとへ平八郎一箇の慈善なりと雖    も、一応山城守まで届け出づべき筈と思ふが、その事のないは如何    なる御存念か、承りたいとの口上だ。 忠兵衛 (膝を進め、鋭く)何んと答へられました。 平八郎 (一同の思はくをはゞかる如く、やゝ伏目になりて)質問が穏便    なれば、わしも……穏かに答へた。平八郎は隠居の身分、殊更ら自    分所持の書籍を売り払つて致すことゆゑ、格別御届けにも及ぶまい    かと料簡して、自儘に取り計ひました儀は……誠に恐れ入つて居り    ます。尤も施行は三日間のところ、残りは明日一日となりました。    若し不都合と思し召さば、明日の施行は中止いたしませうか、御指    図次第に致しませうと答へた。 忠兵衛 では、明日の施行は、中止でござりますか。守口の孝右衛門初め、    わたくしどもまで先に立つて、三郷三十三町村中に施行券を配つて    置きながら、今更ら跡部さまの御察当があるとて、手足をちゞめて    変改になりますか。それこそ、騒動でござりますぞ。 平八郎 まア後を聞いての話だ。勘左衛門も考へてゐたが、金子調達の次    第も分明し、別に御不審の儀も相聞えぬ上、前々より触れ置きたる    施行を差し止めては、窮民の気受けもいかゞと気遣はれる。高が明    日一日のことゆゑ、ずゐぶん穏便に取り計らふやうにと、至極穏当    なる挨拶であつた。 忠兵衛 あなたは、それで事が済むと思ひまするか。その言語ぐらゐで、    あの執拗な跡部さまが、御心をとかれると考へまするか。 平八郎 (不審さうに忠兵衛を見て)済むも済まぬも……荻野はそのほか    に話がなかつたのだ。 忠兵衛 違ひます。わしの聞いた風説はそんなことではない。 平八郎 (微笑しながら)現に荻野はいま平山への言伝てに、御用済みに                           そくか    なつたと云つてるではないか。然うまで疑ふのは、足下の杞憂だ。 忠兵衛 ふむ――。(溜息を漏らして考へ込む)    隣室の門弟、同心等も安心して、また酒宴にうつる。 平八郎 どれ、わしも一つお相伴しようか。(忠兵衛の沈思を気にしつつ    も、快く大盃をとりて瀬田の酌をうけて)然し跡部とて考へたらう。    米価は天井なしに騰貴して、昨日の小売は二百六十文に近い。千日              こも    前から難波へかけて、菰をかけた餓死人が何十人となく路傍に横た                    しりくら    はつてゐると云ふ。その役にゐては尻鞍が揉めてならぬ筈だ。はゝ    はゝゝ。それに大塩の慈善が評判になるだけ、奉行所の無為無策が    目に立つて来るのだ。今日までの如く、手を拱いてはゐられまい。    それに金持どもゝ黙つてゐられなくなる。奉行が奮ひ、金持が立て    ば、たとへ遅蒔きながらも貧民の口が濡れるだらう。われ/\の施    行は、事は小なりと雖も彼等を刺戟したゞけの功は立つたのだ。瀬    田君、お酌願はうか、はゝはゝゝ。    平八郎、笑つて盃を重ねつゝ、やはり忠兵衛の沈思、一同の沈獣に    憚る心あり。 平八郎 平山。それとも何か……跡部は大塩に対して、まだ何か思惑でも    挟んでゐるのか。 平 山 始終申し上げます通り、お上はわたくしを洗心洞門人と見て油断    なされません。機密の御意見などは、一向に伺つたことがございま    せん。これは明らかに、御承知を願つて置きます。                さいぎ           かさついんあく 平八郎 この上にも跡部がわしを猜疑するなら、それは彼の苛察陰悪と云    ふものだ。その時こそおれは蹶起して、政治人道のために彼と争ふ。    若しおれが義盟の軍を起したら、彼等輩はどうしてその防禦をつけ    る。城代、町奉行、みな腰披けぞろひで、焼玉の二三発も城内に打                       しろもの    ち込めば、みなわあツと叫んで、四散する代物どもだ。はゝはゝゝ。    仮に敗軍しても六甲山の嶮岨に閑ぢ籠つて、近国近在の農夫等を煽                   いうし    動して見ろ。百姓町人ともにみな有司の悪政に憤怒して、騒擾動乱                       かす         これ    を待ちかねてゐる時だ。火は石より出でて微かなれど、諸を始めに                をく  や    慎まざれば、延焼して遂に屋を燎く。畿内一帯の兵乱は見え透いて    ゐる。聖人も、民の欲するところは天必ずこれに従ふと云つてゐる。    平八郎は民心民望をあつめてゐると信ずる。若し飽くまで跡部がお    れを追窮するならおれは起つ、起つ!    隣室にどツと拍手の声起り、絶叫する者もあり。

察当
法にそむき咎
められること


「大塩平八郎」目次/その34/その36

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ