Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.4

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その39

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第五幕 その一 (3)

管理人註
  

岡 田 (歯の根も合はず、顛へつゝ)先生、果して然うです。大先生は    今、騒動を起すところです。(と宇津木に縋りつく) 宇津木 (思はず持てる墨筆を紙に立てゝ)何――。 岡 田 大塩先生は庭に出て、人夫や一同を指揮してゐます。役に立たぬ    者は斬つてしまへ、と大声に叫んでゐます。先生遁げて下さい、遁    げて下さい。(夢中に引ツ張る) 宇津木 遁げようたつて、遁……遁げられるものではない。仕方がない、    その時の覚悟だ。(岡田に引かれて立ち上りしが、顛動しながら又坐る) 岡 田 危い、殺される。 宇津木 殺、殺されても仕方がない。おれは、覚悟してゐる。    宇津木、顫へる手に全詩を清書し終り、紙端に大きく絶命辞、宇津    木共甫と書す。 岡 田 (題辞を読み、驚く)先生、辞世の詩なのですか。 宇津木 僕は先生を苦諌するこゝろで作つた。然し……墓誌銘にもなるだらう。    岡田、少年らしく声立てゝ泣き出す。                        なんびと 宇津木 (その声に追はるゝやうに、狼狽しつゝ)何人も死ぬのだ。ここ                        おもむ    で死ねば、おれは、忠孝の人だ。慷慨、難に趨くは易く、従容、義                                ばうれい    に、就くは、難しとさへ云ふ。僕は、僕の信念のために、彼の暴戻           ほこ    の刀に死するを衿りとする。彼はおれを殺すが、おれの、俺の学説    は殺せないのだ。おれは大塩学の正統者だ。彼がおれを殺すのは、    手づから自分の信仰を殺すのだ。おれは身命をもつて、斯学の権威    を維持しなければならない。人生詩本粉本の称ありだ。おれは先生    に殺される、殺されよう。    宇津木、言語に熱を加ふると共に、態度次第に沈着して、顛動のさ    ま退く。    この時、屋外より何人の声とも知れず「宇津木君、宇津木々々」と    荒らかに呼ぶ者あり。    岡田、驚愕して師匠に縋りつく。宇津木、弟子を固く抱きて、目に                                    て騒ぐなと叱りつゝ、しかも尚ほ不安さうに屋外の物音に耳を聳つ。    やゝ長き間。やがてその声去りて、何の響もなし。 宇津木 (ホツと息を吐き、岡田を離して)兎にかく、君はこゝを立ちの    いてもらひたい。君は大塩の弟子ではない。君の御両親にたいして    僕の責任もある。屋敷うちの混雑にまぎれて、今、直ぐ、ここを遁    げてくれたまへ。 岡 田 先生はどうするんです。遁げないんですか。                            と 宇津木 僕は、僕は――。(咽喉に蓋するやうに、ハタと口を噤ぢ、凝ツ    と眼前の一点を見詰めて、湧き上る涙を怺へつゝ)僕はやツばり、    大塩先生を愛してゐるんだねえ――。このまゝ先生を見離せないや    うな気もするし……又……離れても解けない縄が……二人の間に、    繋がれてゐるやうな気もするのだよ……。             きよき    宇津木、俯向きて歔欷す。岡田、泣く宇津木 (顔を上げて)人に心づかれては悪い。岡田君、君はこの詩稿を    もつて、これから京都本願寺を訪ねて、粟津陸奥之助と云ふ人に貸    してある僕の詩文稿があるから、君は京都へ行つて受取つて、彦根    にゐる兄下総のところへそれを届けてくれたまへ。兄の屋敷には大    林権之進と云ふ男がゐるから、それに会つて手渡しにして貰ひたい。    岡田君、何を泣いてゐる。早く遁げないと、君の身が危い。岡田君。 岡 田 先生、僕は―― 宇津木 それを云つてる時ではない。君は今死ぬ身ではない。君には前途    がある。 岡 田 然し…‥僕、厭やです……厭やです。(泣く) 宇津木 人の足音がする。早く、早く遁げたまへ。君がなくて、誰がこの    僕の潔白、この信念を世間に伝へてくれるのだ。泣いてゐる時ぢや    ない。 岡 田 先生――。 宇津木 早く遁げたまへ。裏口から廻つて小門を出るのだ。早く、早く――。    宇津木、激しく岡田を叱りて窓際に立つ。    岡田、泣きゐる。                       ――道具廻る――







































暴戻
荒々しく道理
にそむいてい
ること



















































歔欷
すすり泣く
こと
 


「大塩平八郎」目次/その38/その40

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ