Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その40

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第五幕 その二 (1)

管理人註
  

  大塩平八郎の書斎を外部より見たる光景。   正面に廻り縁つきの二重屋台、即ち第一幕の書斎を庭上より見たると   ころにて、左方は縁側づたひに土蔵の前を通りて勝手向につゞき、右   方は植込に掩はれ、板塀を越して隣地束照官の屋根を見る。庭樹四五   幹、よきほどの位置に立つ。右方には竹薮あり。室内は狼籍を極め、                    くさりかたびら  きごみ   長持葛籠を取り散し、暴挙に着用する鎖帷子、着籠などを投げ出し、   提灯、武器、鉄砲の類を出し、縁側には徹宵酒宴に使用せる酒器、食   具など雑然と積み重ねたり。庭前鉢前には木製の大砲を台車に載せ、                             よつなから   棒火箭、火器の類を積み、庭の樹には五三の桐を染めたる四半の旗、   及び救民と大書せるものなどを樹てたり。    幕あく――時刻はほゞ前場に同じ。農民人夫など大勢走り廻りて、    焼棄すべき家財道具の類を搬び出す者あり。懸額障子など外して庭    上に投げ出す者あり、混雑を極む。塾生等は鉄砲に玉込めの用意を    なし、火縄に火など移しゐる者あり、家内には人を呼ぶ声、車井戸    の音、陶器の砕くる音など紛騒して聞える。    橋本忠兵衛、いま寝床を起き出でたる寝間着姿のまゝにて、格之助    を呼び探しつゝ勝手より出て来る。夜来の宿酔いまだ全く醒めず、    足など少しふらつく。縁側の鉄瓶を見つけてその口より水を飲む時、    渡辺良左衛門、火事装束に草鞋を穿ち、火薬を入れたる重き革葛籠    を、人足と共に搬び来る。 忠兵衛 渡辺君、今日巡見が取留めになつたと云ふは真実か。 渡 辺 こちらも今聞いて、驚いてゐるところだ。どうも事実らしい。 忠兵衛 誰だ。裏切者は誰だ。 渡 辺 まだそこまで分らないが、昨夜四ツ頃(午後十時)から河合の忰    と吉見の英太郎とが姿を見せない。今も大井がそれを捜索してゐる    ところだ。 忠兵衛 確かにこちらの計画が奉行所に洩れたのだ。今日の東西奉行の天    満初巡見は二月も前から定つてゐる。今朝になつて急に中止されよ    う筈はない。確かに、洩れた――。 渡 辺 然うかも知れない。両奉行所が巡見を終つて、あの朝岡の屋敷    (と隣家を指差し)で休息のところへ、大筒を一発打ち込めば、堀        みなごろし            きはど    も跡部も 鏖 と思つたのに、際疾いところで遁げられた。 忠兵衛 庄司君の姿が見えないが、何処へ行つたらう。 渡 辺 明け方まで一緒に飲んでゐたが……用意に家へ帰つたかな。 忠兵衛 あの男は堅固だ。変心はない。瀬田……近藤……小泉……皆、大    丈夫だ/\。(強ひて自ら慰めるやうに数へて)兎にかく陣立ての    準備が第一だ。行くところまで行くよりほか仕方があるまい。 渡 辺 もう……死物狂ひだ。    渡辺、興奮して途轍もなき大声にて笑ひつゝ、去る。忠兵衛、そこ    に投げ出されし着籠のうちより、わが身に合ふものなどを択びゐる    時、大塩格之助、他の用事ありて急ぎ来かゝる。平常の服に袴を着    く。 格之助 (詰るやうに)お、忠兵衛どの。いま起きたのか。 忠兵衛 (少しムツとして)眠つてゐるのは死んだのぢやない。先生は何    をしてござるのだ。 格之助 講堂で竹上万太郎を説破してござる。彼も義盟に連判させようと    云ふのだ。 忠兵衛 その通りのお人だ! (苦々しく舌打ちして)何になつて、何ん    の為めに人を集めなさる。 格之助 然し、竹上ならば御城内の模様にも明るいから…… 忠兵衛 場合が違ひますよ。秘密が敵に洩れてゐるんだ。 格之助 然し―― 忠兵衛 空も晴れた。皆、死ねばいゝんだ。(大息して)昨夜から先生の    溜息が気になつてならなかつた。どうで……斯うなるのだらう。 格之助 然し、瀬田、小泉が、お役所に宿直してゐるのだ。若し大事が洩    れゝば必ず沙汰がある筈だ。今日の御巡見が急にお取留めになつた    のは、何かお上に御都合があるのだらう。(伸び上り隣家を窺ひ)    朝岡の屋敷も別に騒いでゐる模様が見えない。 忠兵衛 それならば、それで宜しい。    忠兵衛、嗟嘆して去らんとする時、平八郎、連判帳らしき巻物を携    へ入り来る。下に着籠を着けたれども、平服のまゝなり。 平八郎 (快然として)忠兵衛、竹上万太郎も首尾よく一味に加はつたぞ。    これで先づ、東組有力の与力は一致同心と見るべきだらう。 忠兵衛 先生、あなたは昨夜夜中から河合の忰と吉見とが、逐電したのを    知つてござるのか。吉見は正月以来、病気にかこつけて一度も塾に    顔を見せませぬぞ。 平八郎 大井に云ひつけて探してゐるが――、少年どもだ、この騒動に恐    怖したのだらう。 忠兵衛 平山はどうしました。 平八郎 あれは跡部の急用をうけて、昨日江戸へ出発したさうだ。探つて    見るに、これも御上御用に相違ない模様だ。        そご 忠兵衛 今朝の齟齬はどうなさるお考へですか。 平八郎 騒ぐな。模様を見るのだ。(疲れたるやうに傍の葛籠に腰を下す) 忠兵衛 模様――? (唇を噛み、進み出て)先生、お前さまはまだ御自    分の体を殺す決心がおつきになりませぬか。この騒動が遠い火事の    やうに見えますか。 平八郎 何を云つてる。はゝはゝゝ。    平八郎、声のみにて哄笑して空しく一点を見る。忠兵衛、苦々しさ    うにそれを見る。

   


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