Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その41

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第五幕 その二 (2)

管理人註
  

忠兵衛 先生、斯く壁に馬を乗りかけて、今更ら卑怯の思案はなりませぬ    ぞ。昨夜中には村々に檄文も配布してある。又、大事が人足どもに    洩れてゐる。今更ら引かうと云つても、引かれる場合ではござりま    せぬぞ。 平八郎 分つてゐる……分つてゐる。(煩さゝうに呟きて、顔を上げ、格    之助に)格之助、宇津木はこの騒ぎを知らぬ筈はあるまい。何んと    も云つて来ないか。 格之助 新塾舎はひツそりと、寝静まつて居ります。 平八郎 様子を見て来い。彼の意志が知りたいのだ。 格之助 は。    格之助、忠兵衛と顔を見合せ、己むを得ず走り去る。 忠兵衛 (平八郎の腕を掴みて)先生、お前さまはこゝになつてもまだ、      まうりやう    その魍魎が払はれませぬか。 平八郎 然し、彼は本心からおれを……離れて行くのか。おれの行く途は、    彼と、彼と……同じ途ではなかつたのか。おれには、それが……信    じられない。彼はおれが作つて、おれが魂を吹き込んだ人形ではな    いのか。 忠兵衛 自分の作つた人形に、殺される時もあるんだ。先生! ハラ/\    と落涙、平八郎の手を打ち振り)もうその未練を去つたらどうだ。    あなたは潔く死ねばいゝのだ。又、死なゝければならない人なのだ。    (耳に口を寄せて叱る) 平八郎 無論その覚悟は失はない。たゞおれは……おれ自身の理性を彼の    うちに預けてあるやうな気がする。彼の脣は、おれの心の奥に潜む    ……おれの本来の理性が……声を発してゐるのではないかと……思    ふときがある。彼とおれとが争ふのは、二人の人が思ふのではない。    一人だ。おれが……おれ自身のなかの一人と闘つてゐるやうな気さ    へするのだ。                忠兵衛 先生、その愚痴の段ほ疾うに峠を過ぎてゐる。(口惜しげに平八    郎を揺すぶりて)今は、死ぬだけがお前さまの問題だ。その決心が    ついてゐますか。 平八郎 それは無論―― 忠兵衛 然うぢやない/\。お前さまには、いま自分が何をしてゐるか、       し          まぼろし    身に染みてゐない。幻影に動かされてゐる。(耳に口を寄せ、声を    潜め)好いか先生、こゝへ来てはもう遁げられないよ。駄目だぞ、    駄目だぞ。死ぬ――死ぬと云ふ言葉を、はツきりとお前さまのこゝ    ろに喚び起して下されよ。 平八郎 分つてゐる。(不興気に立つ) 忠兵衛 いや、お前さまには分つてゐない。(無理に引き据ゑて)先生、    一族も門弟も、みなお前さまのために死ぬのだ。お前さまがまぼろ            ちゆうう    しに浮かされて、中有に迷つてござつては、皆……死ぬにも死なれ    まい。(ハラ/\と泣き)先生、機密は漏れてゐる。善も悪ももう    考へる時ではない。死ぬと云ふこの事実、この事実を決して忘れて    下さるな。 平八郎 (屹ツと顔を上げ)おれは大義に発するのだ、人民、百姓の味方    がある。 忠兵衛 それは外だ。お前さまはこゝろのなかに味方をもたなければなら    ない。 平八郎 (ふいと立ち)宇津木はどうした、見て来る。                  しやうこり 忠兵衛 (嚇ツとして、前に立塞り)性懲もなく、まだそれを云はツしや    るか。この場合、宇津木一人が何んだ。彼に聞かなければ、死ぬこ    ともならないか。打つぞ、先生、――おれは打つぞ。    忠兵衛、悲憤の拳を固めて詰め寄る。平八郎、茫然として佇立する    のみ。    格之助、戻り来る。 格之助 新塾舎には、何の物音もございません。宇津木兄はまだ眠つてゐ    ると見えます。 平八郎 然うか、眠つてゐるか……。(溜息して、また葛籠に腰掛け、凝    ツと畳を見詰める) 忠兵衛 (格之助に)君、この人はもう相手にはならない。手筈通りわれ    /\で決行しよう。庄司君はまだ来ないか。渡辺、人数を集めてく    れ。人数だ、人数だ。    忠兵衛、興奮し、競合しつゝ走り去る。格之助、気遣はしげに養父    を見守りゐる時、作事場の方に二三度爆竹の普して、ガヤ/\と人    声聞ゆる。


























中有
四有のひとつ、
人の死後,次の
生を受けるまで
の間の状態


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