Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その45

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第五幕 その三  (1)

管理人註
  

  同じ日の九ツ半時(午後一時半頃)。   場所は難波橋南詰の空地。    大川を距てゝ天満の地一帯は火焔につゝまれて燃え上り、川下の天    神橋は橋板をめくりて破壊せられたるまゝ火に燃え、難波橋の一部                               わか    もまた奉行所方の防禦のため破壊せらる。同勢はいま敵手に岐れて、    今橋筋の鴻ノ池一門を初め、天王寺屋、平野屋等に大筒を打ち込み、    金品を群衆の掠奪にまかす。火災起り、砲煙みなぎるなかを、罹災    民、群衆など右往左往に馳せちがひ、泣き叫び走り狂ふ。    橋詰に残りしは平八郎の外に、白井、橋本、その他若党四五名。み    な立ちながら握り飯を食ふ。平八郎ひとり離れて、喪神せるやうに    火焔を見詰むる時、また高麗橋筋に砲撃とゞろき、火の手あがる。 白 井 (今橋筋を望みつゝ)さすがは鴻ノ他の総本家だ。まだ盛んに、    ドン/\燃えてゐる。                     ひとて 忠兵衛 (新たに燃え上る火を見て)おゝ、一手は高麗橋へ廻つた。あの    火は三井か、岩城桝屋だ。 白 井 橋本、聞えるだらう。あの、微かに――。貧民どもが金持の土蔵    に乱入して、掠奪をはたらいてゐる声だ。ほゝはゝゝ。 忠兵衛 (耳を澄して)うむ、聞える。はゝはゝゝ。みな夢中になる訳だ。            きよけう         ろくだい 白 井 恐らく文王が、鉦橋の粟を発し鹿台の銭を散ずると云ふは、この    声なのだらう。(平八郎に)先生、聞えますか。人民が狂喜してゐ    るあの歓呼の声をお聞きなさい。 平八郎 聞いてゐるよ。さつきから……耳について離れない。    平八郎、煩さゝうに答へて橋際の方に歩む。                              し め 平八郎 河の水面に反射して、地の底から聞えるやうに、……深沈やかに    こゝへ響いて来る。(寂しく笑つて、橋坑に凭れつゝ)小児の時、    春の夕暮などに、隣り町の太鼓を……うら悲しく聞いてゐる、丁度    あんな心持がしてゐた。 白 井 この混雑のなかに、常に知らない静かさがシインと聞えるやうな    気がします。先生も、然うでございますか。                                 平八郎 貴公にも、それが聞えるか。(白井を見て、その目を寂しく逸ら               さつき             しつゝ)おれは何んだか先刻から……わが仕事を為し終つた人のや                               のび    うに、時々安心の溜息が出るのだ。草鞋をぬいで何処にでも暢やか    に休息される人のやうな気がしてならなかつた。 白 井 おこゝろが、疲れてゐるのでござりませう。 忠兵衛 (対岸の火を顧みて、わざと元気よき声)ほう、燃える/\。天    満は一面、火の海だ。    平八郎、また水面を見る。一同、沈黙して火を見る。    窮民の掠奪者大勢、新しき衣服を頸に巻き、或は物品を担うてその    前を走り過ぐ。    庄司儀左衛門、大砲にて負傷し、顔面焼け爛れ、右の手を白木綿に    て巻きつゝ人足に扶けられて後退し来る。 忠兵衛 (喫驚して駆け寄り)庄司氏、やられたのか。 庄 司 何、巣口がはぜて、味方の大砲で怪我したのだ。何んでもない。 忠兵衛 そして城内の模様はどうだ。跡部はまだ出馬しないのか。                   け ぶ 庄 司 (苦しげに棄石に腰掛けて)気振りも見えない。市中は暴れ放題    だ。 忠兵衛 そのざまだ、腰披け! (持ちたる握り飯を大地に投げつけ、平    八郎に)先生、ではその間に橋を渡らう。船場を焼きはらへば、両    奉行は袋の鼠だ。 平八郎 (水面を見詰めたるまゝ、声のみ答ふ)無論、そのことだ。 忠兵衛 兎にかく、同勢を揃へよう。白井、引上げの太鼓を打つてくれ。 白 井 うん?    白井、大筒の車台に腰掛けて土を見詰めゐたりしが、顔を上げて忠    兵衛を見る。 忠兵衛 好し、おれが打つ。    忠兵衛、若等等を指図して、やゝ離れたる町角にある陣太鼓の方へ    走り行く。    白井、庄司、平八郎の三人、皆それ/゛\lの思索に耽りつゝそこに    居残る。    やがて太鼓の響、間断ありて聞え来る。                    平八郎 逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎てず……。(独語の如く呟きつゝ    橋を離れて、庄司を見る)儀左衛門、静かに考へる時間が欲しいな    ア……。 庄 司 (瞑想を破られ、はツとして)は――? 平八郎 こゝに一刻の時があれば、総ての考慮をまとめて、人生の第一義     ほうちやく    に逢着しさうな気がするのだ。この時が得られないのが……残念だ!    (俯向いてその辺を歩み廻りつゝ)俺の一生は、体に引き擦られて    喘ぎながら……活きて来たやうな気がする。おれを評して、宇津木    がいつも――。 庄 司 え――。    庄司、愕然として戦慄するやうに見上ぐる。平八郎、その声に驚き    て庄司を見る。南方の眸、顫へる如く動かず。 平八郎 (やがてまた歩み出す)宇津木はおれが殺させた。それを忘れて    ゐるのではない。(苦く笑つて)おれが殺した、おれが殺した――    と、おれは然う呟きながら、天満の町通りをこゝまで歩いて来てゐ    る。それを恐れも悔みもしてゐない。只、おれは……同時におれ自    身を殺したやうな妄想に襲はれてならないのだ……。彼はやはり生    きてゐて、却つておれが死んでゐるやうにさへ思ふ時があつた……           おそ    おれは白日夢に魘はれてゐるのか、生きてゐるのか、頭の心がぼう    ツとしてしまつた。    庄司、溜息して俯向く。






















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