同じ日の九ツ半時(午後一時半頃)。
場所は難波橋南詰の空地。
大川を距てゝ天満の地一帯は火焔につゝまれて燃え上り、川下の天
神橋は橋板をめくりて破壊せられたるまゝ火に燃え、難波橋の一部
わか
もまた奉行所方の防禦のため破壊せらる。同勢はいま敵手に岐れて、
今橋筋の鴻ノ池一門を初め、天王寺屋、平野屋等に大筒を打ち込み、
金品を群衆の掠奪にまかす。火災起り、砲煙みなぎるなかを、罹災
民、群衆など右往左往に馳せちがひ、泣き叫び走り狂ふ。
橋詰に残りしは平八郎の外に、白井、橋本、その他若党四五名。み
な立ちながら握り飯を食ふ。平八郎ひとり離れて、喪神せるやうに
火焔を見詰むる時、また高麗橋筋に砲撃とゞろき、火の手あがる。
白 井 (今橋筋を望みつゝ)さすがは鴻ノ他の総本家だ。まだ盛んに、
ドン/\燃えてゐる。
ひとて
忠兵衛 (新たに燃え上る火を見て)おゝ、一手は高麗橋へ廻つた。あの
火は三井か、岩城桝屋だ。
白 井 橋本、聞えるだらう。あの、微かに――。貧民どもが金持の土蔵
に乱入して、掠奪をはたらいてゐる声だ。ほゝはゝゝ。
忠兵衛 (耳を澄して)うむ、聞える。はゝはゝゝ。みな夢中になる訳だ。
きよけう ろくだい
白 井 恐らく文王が、鉦橋の粟を発し鹿台の銭を散ずると云ふは、この
声なのだらう。(平八郎に)先生、聞えますか。人民が狂喜してゐ
るあの歓呼の声をお聞きなさい。
平八郎 聞いてゐるよ。さつきから……耳について離れない。
平八郎、煩さゝうに答へて橋際の方に歩む。
し め
平八郎 河の水面に反射して、地の底から聞えるやうに、……深沈やかに
こゝへ響いて来る。(寂しく笑つて、橋坑に凭れつゝ)小児の時、
春の夕暮などに、隣り町の太鼓を……うら悲しく聞いてゐる、丁度
あんな心持がしてゐた。
白 井 この混雑のなかに、常に知らない静かさがシインと聞えるやうな
気がします。先生も、然うでございますか。
そ
平八郎 貴公にも、それが聞えるか。(白井を見て、その目を寂しく逸ら
さつき な
しつゝ)おれは何んだか先刻から……わが仕事を為し終つた人のや
のび
うに、時々安心の溜息が出るのだ。草鞋をぬいで何処にでも暢やか
に休息される人のやうな気がしてならなかつた。
白 井 おこゝろが、疲れてゐるのでござりませう。
忠兵衛 (対岸の火を顧みて、わざと元気よき声)ほう、燃える/\。天
満は一面、火の海だ。
平八郎、また水面を見る。一同、沈黙して火を見る。
窮民の掠奪者大勢、新しき衣服を頸に巻き、或は物品を担うてその
前を走り過ぐ。
庄司儀左衛門、大砲にて負傷し、顔面焼け爛れ、右の手を白木綿に
て巻きつゝ人足に扶けられて後退し来る。
忠兵衛 (喫驚して駆け寄り)庄司氏、やられたのか。
庄 司 何、巣口がはぜて、味方の大砲で怪我したのだ。何んでもない。
忠兵衛 そして城内の模様はどうだ。跡部はまだ出馬しないのか。
け ぶ
庄 司 (苦しげに棄石に腰掛けて)気振りも見えない。市中は暴れ放題
だ。
忠兵衛 そのざまだ、腰披け! (持ちたる握り飯を大地に投げつけ、平
八郎に)先生、ではその間に橋を渡らう。船場を焼きはらへば、両
奉行は袋の鼠だ。
平八郎 (水面を見詰めたるまゝ、声のみ答ふ)無論、そのことだ。
忠兵衛 兎にかく、同勢を揃へよう。白井、引上げの太鼓を打つてくれ。
白 井 うん?
白井、大筒の車台に腰掛けて土を見詰めゐたりしが、顔を上げて忠
兵衛を見る。
忠兵衛 好し、おれが打つ。
忠兵衛、若等等を指図して、やゝ離れたる町角にある陣太鼓の方へ
走り行く。
白井、庄司、平八郎の三人、皆それ/゛\lの思索に耽りつゝそこに
居残る。
やがて太鼓の響、間断ありて聞え来る。
す
平八郎 逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎てず……。(独語の如く呟きつゝ
橋を離れて、庄司を見る)儀左衛門、静かに考へる時間が欲しいな
ア……。
庄 司 (瞑想を破られ、はツとして)は――?
平八郎 こゝに一刻の時があれば、総ての考慮をまとめて、人生の第一義
ほうちやく
に逢着しさうな気がするのだ。この時が得られないのが……残念だ!
(俯向いてその辺を歩み廻りつゝ)俺の一生は、体に引き擦られて
喘ぎながら……活きて来たやうな気がする。おれを評して、宇津木
がいつも――。
庄 司 え――。
庄司、愕然として戦慄するやうに見上ぐる。平八郎、その声に驚き
て庄司を見る。南方の眸、顫へる如く動かず。
平八郎 (やがてまた歩み出す)宇津木はおれが殺させた。それを忘れて
ゐるのではない。(苦く笑つて)おれが殺した、おれが殺した――
と、おれは然う呟きながら、天満の町通りをこゝまで歩いて来てゐ
る。それを恐れも悔みもしてゐない。只、おれは……同時におれ自
身を殺したやうな妄想に襲はれてならないのだ……。彼はやはり生
きてゐて、却つておれが死んでゐるやうにさへ思ふ時があつた……
おそ
おれは白日夢に魘はれてゐるのか、生きてゐるのか、頭の心がぼう
ツとしてしまつた。
庄司、溜息して俯向く。
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