大井正一郎、金箱を抱いて二分金を地に撒きつゝ走り来る。貧民等、
その金を拾はんとして、倒し合ひ打ち合ひて争ふ。
大 井 撒くぞ/\、ほうれ撒くぞ。(二分金を退路に撒きちらし)金が
欲しいやつは味方だ、みな味方につけ! 大坂三郷の富は、みなお
前達のものなのだ。はゝはゝゝ。
老若の貧民等、地上に転がり合うて拾ふ。
大 井 それ、撒くぞ! みな義軍に荷担しろ、老人は旗を持ち、血気の
ものは先陣に立て! 掠奪はこゝろの儘だ。みな味方につけ……味
方につけ!
大井、さかんに金を撒く時、群衆のなかより二名の壮漢出で来りて、
やにはに金箱を奪ひ取らんとする。
大 井 これ、何をする。(驚き争ひつゝ)味方につけば金はお前だちの
ものだ。離せ、味方につけ、鬨の声をあげて、みな義軍のために働
け!
壮漢等は大井の絶叫を耳にもかけず、たゞ夢中になりて金箱を奪は
んとして格闘となる。遂には老人女どもまで壮漢に助力して、大井
を捩ぢ倒して金箱を奪ひ、歓声をあげて一同壮漢等と挟み合ひつゝ
走り去る。
大井、地上に倒れ泥にまみれたるまゝ、気息も奄々として叫びゐる。
大 井 遁げるな、味方しろ。味方につけ……お前だちのために戦つてゐ
るのだ……。人民のため……人民のために戦つてゐるのだ。味方に
つけ……味方だ……。
平八郎、この前より黙然として立ち、混乱を眺めゐたりしが、やが
て立ち上りて群衆のあとを追はんとする大井を呼びとむる。
平八郎 正一那、もういゝ……もういゝ。追ふものではない。
大 井 然し、われ等は彼等のために戦つてゐます。彼等のための……義
拳だ、恩人だ!
平八郎 胸が痛む……。彼等はやはり、彼等であつた。……彼等に……罪
はない。
大 井 大塩先生、あなたは――? (不安さうに見詰める)
平八郎 遣るよ。遣るところまでは遣る、心配するな。
平八郎、静かに答へてわが牀几に戻り来る。大井、力なくその後に
従ふ。
この間も引上げの太鼓遠く聞えて、同志のうち重立ちたる人々、二
人三人づつ引き上げる。
平八郎、無言、疲労せるやうに眼前の一点を見る。
格之助、来る。これも無言、恐怖せるやうに四方の火事を眺めゐる。
やゝ長き間、砲撃絶えて火焔の音を聞くのみ。
瀬田済之助、槍を杖ついて引き上げ来る。
瀬 田 町人百姓は頼みにならない。だん/\人数が減るばかりだ。
格之助 どのくらゐ残つてゐる。
瀬 田 さつき天神橋で点検した時三百人あまりあつたが、いま引上げの
そこ/\
太鼓で見ると百人匆々だらう、数へても見なかつた……。
間。
瀬 田 然し、城方はどうしたのだ。まだ先手の影が見えない。
格之助 (他人事のやうに冷淡に)うむ、然うだ。まだ見えないなア……。
瀬 田 何をしてゐるんだ。出るなら早く出てくれゞばいゝ。
格之助 然うだなア……。
ひなた
瀬 田 (誰に云ふともなく)日向を見るといけないね。自分の身が遠く
にあるやうな気がして……妙にこゝろが澄んで来る。
格之助 (それには答へず)然し、よく燃えるなア……。
間――。太鼓の音、次第に近づき来る。
大 井 (突然、蹶起して立ち)休むのがいけないのだ。さ、出掛けよう。
皆、立て、立て。
瀬 田 方略は定まつてるのか。先生の意見はどうだ。
大 井 無論、今橋を突破して船場一面を焼き払ふのだ。そのうち何処か
で必ず、城方の軍勢に出合ふに相違ない。その時が勝負だ。
どつち
瀬 田 然うしよう。何方にしても大坂城に向ふのが目的だ。
大 井 さ、一同、立て/\。人数が減つてゆくぞ。
一同、立ち上りて武器を持ち、草鞋などを結び直す。
橋本忠兵衛、陣太鼓をうちつゝ戻り来る。
かへ
平八郎 (俄然として自己に復り、猛然として立ち上り)諸君、船場には
焼き残された米商人等の土蔵がある。この餞飢を来たした人民の敵
は、彼等奸商どもだ。彼等を残しては大義の名が立たない。さ、一
同、橋を渡つて彼等の巣窟を衝くとしよう。橋本、陣立て、平押し
――太鼓だ、太鼓だ!
平八郎、采配をふるつて進軍を指揮し、忠兵衛、急調の太鼓を打ち
立つる。
――道具廻る――
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