Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.5.9

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大塩の乱関係論文集目次


「未遂既遂の米騒動」

その10

三田村鳶魚

『お江戸の話』雄山閣出版 1924 所収

◇禁転載◇


曲淵甲斐守の免黜

 廿九日に、飛ぶ鳥も落ちるといはれた君側の権勢者、御側御用御取次横田筑後守が突然剥職された。彼は前月朔日に三千石の御加増があつて九千五百石になつた程であるのに、あまり急激な不首尾を誰も驚かぬ者はない。

此の頃家治将軍が江戸市中動乱の状況を尋ねられたのに対して、彼は何と考へたのか、一向に静謐で別段相変つた儀もなき由を言上した、しかるに大奥女中から暴動の実況を御聴きに入れたから、将軍は大立腹で直ちに職を奪はれたのである。

それから五月の当番であつた南町奉行曲淵甲斐守が、六月朔日に転役を命ぜられた、北町奉行山村信濃守は、当月非番であつたから問責されなかつたのである。

天明七年五月の初めには玄米が一両に二斗五升乃至一斗八升唱へになつて、米屋は在荷払底と称して売らない、百文に三合といふ高い米を買はうとしても店を閉して居る、此の時に暴動は起つたのである。

町方の名主家主等は、曲淵甲斐守に対して切に救解を求めた、曲淵は現在江戸府内には米穀払底であるが、今日の相場を聞けば、諸国から廻米も程なくあらう、若し廻米がなければ、我等も共に飢餓に及ぶのである、併しこの天井なし相場では必ず八方から廻米があるのも知れた事である、暫くの処を粮なり粥なりで凌いで居れと申渡して、形勢を見送らうとした。

又た同心を以つて、米問屋の在庫品を調べ、一々に封印を施した、これは在品を管理する積りであつたらうが、市民は買上げられるものと誤解した、サア気配で相場は一層引き立つて来る。勿論此の四五月は相場はない、既に見掛け売りの有様であつた。米問屋は倉庫に封印をされたが、実は早く持米を武家や寺院の倉庫へ隠匿して、調べに来た同心等をば賄賂で取拵えて、米払底に相違ないと報告させた。奸商の占売を知らずに、格外な相場が各地の米を呼ぶだらうと、大阪と江戸とで廿年も町奉行を勤めた老功な曲淵にも似合はず、教科書にでもありさうな考をして居た。家治将軍の聡明を壅塞しようとした横田筑後守、眼前の民状に諒解のない曲淵甲斐守は、壟断の利に耽ける奸商と共に天明度の災禍でおる。


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