Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.5.2

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大塩の乱関係論文集目次


「未遂既遂の米騒動」

その9

三田村鳶魚

『お江戸の話』雄山閣出版 1924 所収

◇禁転載◇


暴動に対する策応

十九日から二十四日までの六日間は、江戸を挙げて暴動に委ねた状態である。甚だお役人には気の毒な状況であつたが、何の策応もなく暴動を見ているほどでもない、幕閣の有司も死減して居ない限り、何分かの措置はしたのである。

二十二日には両町奉行配下の与力同心を出動させ、町々の木戸を昼夜共に閉鎖し、潜りだけを開けさせて、往来を制限した。群衆は此所彼所(かしこ)に三百五百 と集合して居たが、大凡(おほよそ)二十五組、五千人ほどであつた、昼夜の分ちなく鉦太鼓を打ち鳴して米商を襲ひ、店舗・倉廩を毀ち、米穀を奪ひ去るのであつた、それが酒屋・質屋を襲ふやうになり、米のみでなく、金銀衣服をも持ち去るに至つた。堅く閉じてある店舗には、大八車を逆さに推して往つて雨戸へ突き掛ける、それも三間五間先から曳々と勢を附けて往くりだから、一寸板では一ト溜りもなく破壊されて了ふ。

茅町で七軒、瓦町で七軒、天王町で八軒、代地で八軒、森田町で 三軒、福井町で三軒、鳥越で一軒、札差が都合三十七軒も此の日に壊された、廿三日には到底町奉行の手だけ鎮定されないと見たから、御先手頭十人に市中巡邏を命じた。此の十人には五六十人の与力と、四五百人の同心とが附属して居た、今日なら兵隊を出したのである。

この特別巡邏隊は、乱暴者を召捕り、或は斬捨て宜しいといふ命を受けた、其の上に町触を以て、

(一)乱暴者を召し捕つて訴えよ、
(二)襲撃の場所へは見物人が集り、その見物人も参加して乱暴を働くといふから、見物人をも召し捕れ、
(三)与力同心に警備はさせるから米屋は商売せよ、
(四)何人も混合食をして、飯米を節約し、少々の余分を売り払え、囲米をなす者は処分すべし

と令し、一方には幕閣より御救米代金の給与を発表し、町奉行は町々小売米屋が休業して居るから、明廿四日より町々へ米穀買詰方に就いて年寄三人へ訓令した。

廿五日には賜金三万両玄米三万俵、大豆三万俵を、曲淵甲斐守の役所で町年寄へ渡し、一人前銀三匁二分米三合大豆三合宛を町々の自身番所で頒与した。

廿四日にも芝三島町及び品川の米屋が襲われ、牛込若松町でも米屋が壊された、廿五日には、漸く鎮静らしかつたけれども、こ此処彼処で今日も襲撃されるといつて騒いで居た、江戸の市民は未だ\/不安な感じを脱れ得なかつた。


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