Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.21

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大塩の乱関係論文集目次


「未遂既遂の米騒動」

その3

三田村鳶魚

『お江戸の話』雄山閣出版 1924 所収

◇禁転載◇


南鍛冶町の掲示

 柏崎騒動よりも二個月早い四月六日の朝、南鍛冶町二丁目の家主十兵衛方の入口と、浅草東仲町の町木戸の柱に、半紙ニツ切ヘ、

右当八日諸方手分目印相心得べく候

と書いて貼付してあるのを発見したのみならず、金子預り証文一通と上包みに標記しその一紙には、

とあるのを拾得したものもある。

平八郎門人と云はずに、大阪浪人中と書き、我々一味の者大阪にてと云ひ、特(こと)に「天命憚りなく今に存生罷在候」と云つて、潜伏中の大塩を囮に遣つて凄味を持たせた。平八の一挙が無事に狎(な)れた幕府時代の上下を驚かしたのに乗じて、妙に擬制を張り、簿ドロ焼酎火を十二分に用ゐて、乱暴人募集の広告の色彩とした。もし広告文の通りに江戸で暴動が発生したならば、町奉行の手附、所謂八丁堀の与力・同心が出て来る外に、各町の消防夫が防禦に当る、其の消防夫は与力に統率されるものであるが、所属の町内の家持・地持を旦那に持つて居る以上、斯うした誘引に応じて集るはずがない、それを知つて居ながら、まず防禦の方法を奪ふぞと手強く脅したところが見える。大体余り芝居過ぎて居る、趣向倒れなのは明白だ、これが真の虚喝であつて、其の時江戸は何の事もなかつた。それでも四里四方の住民を戦慄させたには違ひない。


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